カテゴリー「恋愛」の7件の記事

2008年2月16日 (土)

永遠に変わらぬ想い

Dscf0058  すでに3000回以上も食事は一人の私です。朝食や昼食をとるとき、夕刻、高崎駅前「どんどん」で一杯飲むときでさえ、どうしても寂しさがあり、お店のスタッフの方々に話しかけ孤独感を目先の笑いに紛らせてる自分があります。

 今朝は近くのデニーズ矢中店で朝食をとりました。このレストランは今月24日で閉店となる予定で、私としても不便になるので困っています。経営不振とのことで存続できないようです。ここにも世界経済の波が押し寄せてるのでしょう。

Dscf0050  今まで朝食でずいぶん助かりました。それにも増してスタッフの方々に親しくしていただいて感謝この上もありません。お陰でデニーズの朝食では孤独感を忘れている私がありました。

 このように一人で食事をとっているとき「人の幸せとはいったい何だろう」と自然に考えるようになります。

 幸せについてあれこれ考えても今の私にとって、孤独感からの開放こそがすべての窓口ということにあります。私の幸せとは私の脳が幸せと感じるかどうかです。いつの日にか、そのような心の状態になりたいです。

Dscf0060  人によって幸せの価値観は異なっても、通奏低音のように万人に共通してることは、健康でありたいこと、経済が安定したいこと、仕事や勉強、趣味で成果が上がりたいこと、そして何より尊いことは「心から好きな人がいること」と考えるようになりました。

 私の知る限り18~19世紀の大作曲家において、多くの名作が生まれた過程では「心から愛する人の存在が大きく」それが優れた創作に結びつき、恋人にこの曲を聴いてもらいたい、奏でてもらいたい、深い心情を音楽で表現したい。そして何より「溢れ出る恋人への気持ちを余すところなく伝えたい。」これが創作への大きな動機づけとなっているように感じてなりません。

Dscf0385 例えば「月光の曲」を聴くと、ベートーベンの心境は湖に映る月の光にまったく関係なく、連続した3連符は「恋人への永遠に変わらぬ想いで満ち溢れているよう」に聴こえてなりません。

Dscf0555  今の私の心は大作曲家のレベルには程遠くとも、ショパンの「遺作ノクターン」ハ短調に気持ちを託し、庭に大きな「しだれ桃」が咲く頃、聴いていただけるようになりたい。

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2008年1月 9日 (水)

夫婦はしっかり目を見て会話したい。

Dscf0423_2  生まれてこの方、女性の求める男性像については、想像はできても本当のところ、男性の私には分からないというのが正しいでしょう。

 このテーマについては、女性からしても一言では言い切れないでしょうが、それでも無理して一つだけ挙げれば、「優しい人」と言えるのではないかと思ってます。

 現実生活でのパートナーとしての理想は、これだけでは成り立ちません。しかし、毎日、戦いのような時間に追われ、いろいろに疲れる中、この「優しさ」ということは多くの女性からすると崩せない基本ではないかと思われてなりません。

 実は、最近、近くの薬品スーパーに夜7時30分頃行った折、閉店時間間際で他の客がほとんど居なかった時にチャンスかとばかり、30才くらいのレジの女性に「女性が求めるパートナーとしての男性像」について尋ねてみました。彼女は未婚ですが、すでに婚約者はおられると言ってました。

Dscf0421  私の質問に対し、考える間を作らず、開口一番「優しい人です。」と答えが返ってきました。パートナーとは日々朝に晩に顔を会わせるので、あるいは女性としてはことのほか大きなことかもしれません。

 彼女はこの他に「お金持ちでなくても経済で心配を与えない人」そして「趣味、関心事」などに共通点があればいいと言ってました。たまたま、時間があったので訊いたのですが、これは彼女に限らず、多くの女性から見た基本的、あるいは、もしかして絶対条件の3拍子かもしれないと感じました。

 表面には出難いですが、世の中、DVは話の他ですが、現実には言葉の面でも「優しさの欠如」で困っている、あるいは「心が通じなくて」寂しく感じてる女性はごまんとあるかもしれません。

Dscf0303  私は一人身となった現在、女性の心境についていろいろ考えるようになりました。

 男と女の関係は泥臭いこともあるし、いろんなケースもあり、思いの他、個々のケースが違うので一般論は通用しないこともあるでしょう。

 レジの女性の考えは基本中の其で、そうあるべきです。しかし、私は心から思います。夫婦は会話中、「しっかり目を見て」いろいろたくさんのことを話し合える間柄でありたいものです。そしていつまでも「涸れない泉のように」話したいものです。

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2007年12月31日 (月)

大晦日に燃えてる心の灯

Dscf0375_2  写真は平成19年、南西方向に最後に沈んだ太陽です。いろいろあった1年ですが、一人暮らしの私の心境もたくさんのことがありました。

 今の私は心から探し求めています。

 それは心の通じ合うパートナーです。

 ブログを通じて文章を書くことを覚えました。これからはこれによって培った力を手紙を書くエネルギーに切り換え、気持ちを伝えていきたいと思うようになりました。

Dscf0383  今まで、毎日ブログを書きましたが、本日の大晦日を節目にブログはこの辺で一段落し、これからは時折になります。

 ベートーベンの第7シンフォニー第2楽章の味わい深い創作に匹敵する程の文章が書けるよう磨きをかけたいものです。

 ブログをご覧頂き本当に有難うございました。カッキー

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2007年7月 8日 (日)

私にもあったロマンチックな青春

Dscf0612_1  七夕の時期が来ると若き日を思い出します。

 夏に見られます織姫星(琴座のベガ)と彦星(わし座のアルタイル)は天の川を挟んで互いにいつも見つめ合ってます。年に一度7月7日の夜だけ会うといいます。七夕とは昔から織姫星にあやかって女児の手芸の上達を祈ったお祭りだったのでしょう。

 夜空を彩る夏の大三角形はこの二つの星のほか、有名な白鳥座のしっぽに当たる「デネブ」という一等星があります。これらは緯度的に日本のほぼ上空を通過しますので確認しやすいですね。白鳥座は大きな羽を広げ南に向かって飛んでいく姿です。

 以前に書きましたが、海外でも星座の形は同じに目えるわけですが、その国の緯度により星座の見える位置が異なったり、日本で見える星座が見えなかったり、日本では永遠に見えない星座が見えるものです。特に南へ行けば行くほど見たこともない星座に出会います。

 インドのカルカッタ(北緯22度)に住んでた時、テレビがなかったので夜はもっぱら屋上に上がり仰向けになって煌めく星を眺めてました。同時に今頃、父母はどうしてるだろうか、友は、恋人は、と自然に顔が脳裏を横切ります。

 卒業と同時に就職でインドへ行くとなると一見華やかで、新天地での生活に希望は満ち溢れていました。しかしながら、心残りもありました。私も20代の若者でしたから恋人がいないわけでもありません。彼女と暫く会えない寂しさがあってもインド生活を優先したのです。メールもない時代ですら、お互い手紙により近況を伝え合っていました。

Dscf0192_3 ここで標題のように寂しさを打ち破るロマンが起こったのです。

 今頃の季節です。お互い遠く離れていて会えなくとも北半球同士だから「同時に同じ星が見えるではないか」と、私が提案しました。時差は3時間半。インドで星が見えるようになる時刻はやはり8時過ぎ。

 そしてついに実行。日本時間真夜中12時半、インド時間前日午後9時。インドにいる私と日本にいる彼女は同時にある星を見つめ合ったのです。インドで見たきらきら輝く星は彼女の瞳そのものでした。その星こそ白鳥座の「デネブ」だったのです。

 彼女は私のブログを見てるだろうか。

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2007年6月 4日 (月)

偉大な愛妻家

Dscf0516 隣の木部町に推定100種類以上は優に超えると思われるバラ園があります。個人で長い年月を費やし丹精こめて育て上げたのです。数年前にも訪れその種類の多さに感銘した記憶があります。隣の畑では現在でも品種改良に尽きない研究をされてるようです。

Dscf0531_3  私が驚くのは、こんなにたくさんの品種を育てても、一般の方に自由に見学・観賞させてくださることです。しかも、販売してる様子はありません。目的は金銭とは縁がないようです。

Dscf0518  聞くところによると、バラ育成の最初は奥様のために植えたのが始まりらしいです。その美しさを愛妻に見てもらい、彼女の喜ぶ姿をご自身の喜びにしていたのでしょうか。純粋な気持ちは次から次へと品種が増し、個人のお宅でこんなに広いバラ園はないかもしれません。見た感じでは入場料を払ってもいい程の価値があります。

Dscf0526_1  ご存知のように、バラは花びらの大きさと色彩において品種に名前がついてます。絞りもあり原色ありで、色彩と大きさにはこと欠きません。

 一般的に生産活動は何事も経済に結びついてるわけですが、この方のようにこれだけのバラをどなたにも自由にご覧いただDscf0529_1 く精神は素晴らしいの一言です。私は寛大な心を感じています。

 もともと奥様への美のプレゼントですから、他の目的はないのでしょう。私も何かの形でこのように家族に無償の贈り物を果たしてできるのでしょうか。娘と二人の生活ですから、大切な今の状況を悔いの残らぬようにDscf0519_1父として精神的な何かを贈りたいものと思いました。

 このバラ園のご主人の精神を見習い、ピアノ演奏はこれからも、お聴きしたい方には楽しんで聴いてもらえるよう、不断の練習に没頭しなくてはなりません。

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2007年2月17日 (土)

アルカーサル迎賓館

Dscf0288  本日は大安のため結婚式がたくさん執り行われるでしょう。若い2人に永久の幸あれと祈りたいと思います。私の友人アルカディアさんの娘さんが本日、挙式と伺っています。誠におめでとうございます。

 娘が勤務するメモリード・アルカーサル迎賓館では、土日や祝日の挙式は一年後くらいまで予約が入ってるそうです。実は私はここのスタッフの皆さんと飲み友達でときどき「どんどん」でご一緒します。皆さん素晴らしいお人柄で娘にとってはいい職場です。

 これから結婚される若いカップルにとって、アルカーサルはモダンで素晴らしい結婚式場です。友人をたくさん呼んで思い出ある挙式と披露宴ができるでしょう。【ここはお薦めです。】

 いつも感じることですが、披露宴の最後に新郎や新婦が両親に感謝の言葉を述べる場面では、その純粋な気持ちに会場も静まりかえり、拝聴して涙涙になります。あれはぐっと来ますね。

 また、時々来賓の素晴らしいスピーチに出会うことがあります。いつまでも心に残り二人の生き方への指針となります。私もどうにかして感銘的な話ができるようになりたいものです。人生経験を積み重ねて人を惹きつける力を養う必要があるのでしょうか。

 頭の中ではいろいろ考えが浮かんでも、いざ大勢の方々の前でその思いを上手く伝えるのは難しいことです。「テーマを必ず一つに絞り、話しの順序として導入、テーマ、展開、まとめ」にするといいのかなとも思ってます。心に余裕を持ってユーモアも入れたいものです。

【写真は娘の勤務するアルカーサル迎賓館です。】

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2007年1月29日 (月)

情熱の血

Dscf0202_1 Dscf0203_1     私が生まれた時点で4人の祖父母はすでに他界しており、生涯会うことができませんでした。4人とも江戸時代の安政年間に誕生したのです。この4人の先祖のお陰で私は現在この世に生を授かってるのです。

 20年ほど前に他界した両親が生前説明したところによりますと、父方の祖父と祖母の生まれは互いに400メートル位の比較的近いところで、子供の頃からずっとそこに住んでいました。場所は「原道村」といい、現在の埼玉県大利根町です。二軒の家ともすぐ裏に利根川が流れていて当時は江戸と上州(今の群馬県)倉賀野を結ぶ運搬船の往来で賑わっていました。

 推定、明治の10年前後に祖母も適齢期となり、昔ですから自分の意思でなく、栃木県に嫁ぎ、子供も生まれましたが、しばらくして何とその子供を嫁ぎ先に置いてきて、以前から自分の心の人である祖父と再会し、近所の村人に見つからないよう二人で隠れて裏の利根川に行き、江戸から来た運搬船に乗せてもらって着の身着のままの姿で船頭に最も遠くまでの乗船を頼み、原道村から70キロほど上流に進み、ついに誰も知ってる人のいない倉賀野河岸に辿り着いたのです。

 残してきた子供のことが心配であっても、当時の安宿に仮住まいし、【好きな人と一緒になれた情熱】がエネルギーとなって仕事に精を出し、ついに生まれ故郷の名をとって「原道屋」という金物屋を始めることができたのです。祖母はしばらくしてから栃木に置いてきた「忘れられない子供」と涙の面会をしたとのことですが、大変な心境であったろうと推測してます。

 このようなことから倉賀野で生まれた私の父は「原道屋」を引継ぎ、私はこのお店の子供として生まれました。

 近年、私は祖父母の生まれ故郷である埼玉県原道村に行ってみました。驚いたことに現在でも原道という地名が残っています。原道小学校や原道農協の看板を見て「遠い昔、祖父母が青春を過ごした地」を実感できて感慨無量でした。小学校に行き事情を説明しましたら先生方が卒業者名簿を見せてくださいました。しかし、祖父母の名はありません。安政から明治の初めは時代が古くて寺子屋時代と思われ、原道小学校は開校以前でした。

写真は祖父母が辿り着いた現在の倉賀野河岸跡です。

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