カテゴリー「文化・芸術」の8件の記事

2008年2月28日 (木)

旧暦の「桃の節句」は必ず大安

Dscf0111  二人の娘が初節句のとき、私の両親や姉たちから贈られたお雛様は娘たちが成人し家から離れた今でも、艶やかな姿で人気のない家を賑わしています。

 父としての私は現在一人で住んでいても、娘たちの小さかった往時を偲び、昨日、玄関を入ってすぐ目に付く所に飾りました。妻が生きてた頃は2月になれば早めに出してましたが、私は忘れていて昨日になって飾ることに気づきました。

Dscf0109  歴史的には平安時代頃に京都の宮中で始まったといわれる「ひな祭り」は赤ちゃんの「身のけがれ」を祓うものとして、元来このように高貴な生まれの女の子の厄除けと健康祈願のお祝いとして始まったのが由来らしく、江戸時代より庶民にも定着してきたのでしょう。

 このように昔も小さな女の子を大切にし、身に降りかかる病気や怪我などの災厄を紙人形に身代わりになって引き受けさせたい気持ちから、川に流した「流し雛」へと発展したことも考えられます。

 私の子供の頃は今の時期になると父母はひな祭り用に餅をついてくれました。紅白のひし形の餅にしたり、白酒を供えました。こうして見事な七段飾りは近所の人、姉の友だち、親戚の人たちが見に来たものです。

Dscf0112  ところで、「桃の節句」という言葉は3月3日のひな祭りを言うわけですが、今の季節ではまだまだ寒くて自然界では桃は咲きません。それなのに、なぜ「桃の節句」といわれるのでしょう。

 これはきっと右の人気ランキングに登場の六曜が使われていた旧暦【太陽太陰暦】の名残と思われます。

Dscf0605  庭の大きなしだれ桃は4月上旬に開花し目を楽しませてくれます。つまり、江戸時代までの3月3日は現在の4月上旬であったので、桃の開花時期と一致してたことになります。

  今年の旧暦3月3日は現行の太陽暦で4月8日です。不思議なことに必ず大安です。

 このことから昔も大安吉日に赤ちゃんの健康を祈願したことが窺え、先人の温かな気持ちが滲み出ています。

 「ひな祭り」の由来は、豪華に着飾るというより、医療が発達していない大昔はきっと幼児の病死が多く、おひな様に病魔を身代わりに引き受けてもらい、わが子の災厄を追払う親の切なる願いから「守り神」として始まったのでしょう。子供の健康を願う親の心はいつの時代も変わりません。

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2008年1月15日 (火)

ブログ開設1周年記念、お礼申し上げます。

Dscf0081_3  昨年の1月14日にブログを開設して以来、皆様に応援いただき早1年が経過しました。本日より2年目になるので、これからも、あまり日記のような内容ではなく、「その日に考えたことや感じたこと」を広く書いていけたらと思ってます。

  生来、浅学非才、度量の狭い私にとって、これは大きな挑戦です。コメントを通して皆様のご指導を賜りたいと思います。

 一般的に、ブログやホームページ及び掲示板の傾向として考えられることは、限定された話題になり易いように感じます。一方、そのお陰で遠隔地にいても書き手と共通点がある方とは「面識がなくても友人のようになれる」という今までの時代では到底考えられなかった目から鱗が落ちる利点が生まれてます。

 しかし、ブログの場合、このように書き手が自らの興味関心事や趣味にのみ終始すると、それに関心ある方にはこの上なく楽しくても、部外の方を惹きつけない内容になってしまうでしょう。これではご覧いただく方が限定されてしまいます。

 私の場合、どうしてもレース鳩に関すること、ピアノに関することが多くなり、続いて山登り、そして英語、花木など興味あることに終始し、今までもそのような話題が多かったと思います。

Dscf0073_2  それでも、私は心配りをしないわけではありませんでした。それは一般的に関心がない内容であっても、できるだけ多くの方々にお読みいただきたいので、興味を抱いていただけるよう工夫を心がけていました。

 特に、すべての文章に写真を添付したり、例えば前回のように、レース鳩の話題であっても「エリザベス女王陛下」と結びつけたりしました。これにより、レース鳩関係者以外の方も興味を抱いてご覧になるでしょうし、何よりも世界的に著名な女性がレース鳩に関わっておられることもお知らせしたいと思いました。

Dscf0202  今後の目標であるブログ内容に幅を持たせるには、私自身が多くの方々とお会いして感動したり、多面に亙るよい刺激を受けることが肝心でしょう。ぜひ、各地へ出かけ見聞を広め、いろいろ感じとりたいと思います。

 内容に幅を持たせることをめざしても、それにもまして肝心なことは深い掘下げと内心思ってます。しかし、どうでしょう。お茶でも飲んでじっくり考えましょう。これからも宜しくお願い申し上げます。 

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2007年8月31日 (金)

書家 鷹山さんに会う

Dscf1010_2 先日、一人での夕食は味気なく高崎駅前「どんどん」に行くと書きましたが、その晩、お店に着くと偶然にも高崎商業勤務時代の吹奏楽部部長であったS君がおりました。東京への出張帰りとのことで「どんどん」で既に寛いでいました。

 お互い会うのは暫らくぶりで乾杯し再会を喜びました。彼は吹奏楽部の現役時代はユーホニュームを吹き、文化部のインターハイに相当する総合文化祭が名古屋で開かれ出演したり、群馬音楽センターでの定期演奏会では部長として活躍、同じ吹奏楽部で北京放送局アナウンサーになった「めぐみ」さんと同学年です。

 「どんどん」では学生時代のレクリェーションなど数々の楽しい思い出に花が咲きました。当時、レクリェーションでは彼は私の指揮の真似をするのが得意で機会あるたびにしてました。何事も真似したり、似てるということはそれだけで周囲を愉快にさせてくれるものでユーモアの持ち主です。

Dscf1011  実は、丁度1年前、彼は上毛新聞の文化欄に「旬の人」という記事で大きく採り上げられました。私は今でもその新聞を大切に保管しています。現在は多胡石材産業の専務として活躍する一方、県内では著名な書家として新進気鋭な人です。県展や全国規模の書展に出品、既にいくつかの賞を受賞してます。

 現在、主に書いてるのは十~十二文字を書く作品が多く、羊毛の柔らかく腰のない太い筆を浮かして書く技術に挑戦、「漢字」にはスピードやリズム、線の美しさなどに魅力があるといいます。

 本職の石材では書は必ずついて付いて回り、二つの仕事が深く関連し合って相乗効果が期待できるでしょう。また、学生時代に集中した音楽が書道のスピードやリズム、美という観点から感性として共通点を持ち、書家という現在に結びついてるとしたら望外の喜びです。

 書家・鷹山(ようざん)としてこれから益々活躍されますよう祈ってます。 

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2007年5月30日 (水)

心に響くギターの音色

Dscf0476  30年前にクラシックギターを習い始めました。それ以来、弾いてますが、最近はさぼり気味です。一人静かな室内で弾きますと空間すべてが素朴な響きに包まれます。哀愁に満ちたその音色は聴く人を魅了しますね。

 この素朴さはどこから来るのでしょう。たぶん素材が木であったり、サウンドホールが大きくて共鳴がよかったり、良いニスが塗ってあるからでしょうか。弦をはじくのが人の指であることにも因るでしょう。また、弦をはじくという音の出し方がバロック時代のチェンバロに共通してます。

 フレットを見ると不思議です。その間隔が同じではないからです。これは物理ですが、音の高さは弦の長さに反比例するからでしょう。しかも楽器の形が大変に美しくて抱えやすいです。何か女性の体つきに似ていると思うのは私だけでしょうか。これだけでも大切に扱いたい気持ちになります。

 私の家には今では珍しい漆喰の壁の洋間があります。天上がアーチ型で床が無垢のカリンで十八畳です。ここで弾くと響きは一段と冴えてきます。これは楽器だけが楽器でなく、その部屋も楽器の一部となる現象でしょう。

 名曲はたくさんあります。その中でも手の届くのは「愛のロマンス・禁じられた遊び」で、ぜひ弾きたい一曲です。中間部のところでは左手が人間離れするような運指がありますが、繰返し練習すれば手が覚えてくれるでしょう。サキソフォーンは吹いてるとき自分の指が見えません。ギターは見えるのでその点はいいです。

 ギターの音色は今の私の心境にぴったりです。心の寂しさ、物悲しさ、哀愁味を奏でてくれそうです。

 

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2007年5月21日 (月)

レース鳩が書になる

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以前にお知らせしましたように、私の鳩が中国内モンゴルまで飛んでいきました。その鳩は現地で「中日友好号」と命名されてます。

 父母が寝たきりになってしまった頃、鳩舎があっては両親の部屋に陽が当たらないので、鳩より両親を優先し、鳩舎は壊してしまいました。そのとき飼育していた鳩たちは急遽、友人に飼育を託しました。

 それから2~3年しましたら中国の方から手紙が届いたのです。もちろん漢字のみの中国語ですから、意味をすべて把握するのは困難で何のことか分かりませんでした。

Dscf0449_3 このため県の国際交流課で翻訳していただきましたら、私の鳩が内モンゴル集寧市にお住まいの張宝昆という方が飼育してるということでした。私はその鳩が生まれた時に住所と名前などが彫ってある私製環を足につけておきました。このため、中国の方にとって漢字は本家ですからお読みになり、この私製環を頼りに半信半疑で私に知らせてきたのです。

 私もこの鳩のお陰で中国語を習い始め、しばらく張さんと手紙による交流を続けていましたが、先方から内モンゴルに来てあなたの愛鳩に会ってやってくださいとしきりに依頼がありました。

 その時、これは千歳一遇のチャンスとばかり、私の鳩舎で生まれた愛鳩に会いに行ったのです。行くことが決定してからは「鳩の飼い主が日本から来る」と内モンゴルではニュースになったらしく、着きましたら多くの記者や副知事、副市長、鳩協会の方々などが集まっていて座談会を開いてくれました。すぐに歓迎会となり60度のお酒にはさすが私も参りました。初めの乾杯が済んだあともパーティーで目が会うとその方と幾度も乾杯する風習です。

 1番驚いたのはフホホトの銘揚氏など有名な書家が、この鳩のために写真のような書を創作しておいてくださったことです。上の書の意訳は「日本のレース鳩が海を越え、我が内モンゴルに飛来した。その後、飼い主同士の手紙による交流が始る。これは中日両国人民にとってよい話で、良友は真情を伝え合うものである。時まさに内モンゴルは柳の季節。」次のは「富士山の下にいる君と万里の長城にいる我は同じ月を見ながら盃を挙げる。鳩が世界をつなげた尊いことである。」

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2007年4月15日 (日)

女性の大切な呼び方

Dscf0598 Dscf0602  先日、ホームコンサートを聴きに来てくださる方々と私の家で花見を行ないました。満開のしだれ桃や日本シャクナゲが今まさに艶やかな色彩を誇り、春爛漫のひとときが過ごせました。

 麗しき女性4人が参加され、皆さん水泳のお仲間とのことではつらつとしてます。ずいぶん前向きな方々とお見受けし、いつも一人ぼっちで寂しい生活をしてる私にとって予期せぬ華やいだ時間となり、乾杯もつい声高らかに響きました。

 Dscf0604 皆さんお料理はお得意でBYOBの趣旨を生かしてくださり、私にとっては珍しくおいしいものばかりでした。しかし、つい話に夢中になってしまい、いただくのは時々であったかもしれません。中でも楽しい卓上ガスでお料理され温かいものをいただけましたことに「忘れかけていた家族的ムードが蘇り」内心ぽろりときてしまいました。ピンクのシャクナゲなど花のよく見える畳の部屋で大きなテーブルを囲み会は進みました。

 お酒が染みわたる頃になりますと5人の心は一つとなり、いよいよ話に弾みがかかり、ずっと笑いの連続で進みましたが、どうしたことか時には涙ありで、何と「事実は小説より奇なり」の話になってしまい、気持ちはますます打ち解けて4時間があっという間に経ち、二次会はもちろんピアノバーで「氷雨」から始まりました。

 私は女性に対して平素から心してることがあります。Dscf0605 それは親しくさせていただいた方に対しては必ずファーストネームで呼ぶことにしてるのです。生まれた時ご両親が考え抜いて命名をしてくださったのに、成人するとあまり呼ばれなくなるようです。特にファーストネームに「さん」を付けて呼ばれることは少ないようです。多くは苗字で呼ばれます。この点、外国の方の個人を大切にする表れでしょうか先進的ですね。

 ですから私は会の始まりに何気なく自己紹介的にファーストネームを教わり、しっかり心にインプットするようにしてます。その後はそれでお呼びしますと女性は近しく感じて下さいます。これは私が会得した大きなことです。

 日本女性には「一生変わらない日本的響きを持つ美しいファーストネームがあります。」これからもこの素晴らしい響きを大切に呼んでいきたいです。

 先日の会は楽しかったです。拙いピアノですが、また聴きに来てください。

【写真上はカシミールの木彫りビールジョッキーとナイフ・フォーク、下は平地では珍しい日本シャクナゲと満開のしだれ桃】

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2007年3月23日 (金)

インド刺繍

Dscf0459_2 Dscf0460_4 Dscf0464_1 20才代前半、カルカッタに住んでいた当時は若いせいもあってインドの民芸品には興味が薄かったです。たくさんの珍しい芸術品があっても私にとっては猫に小判のようで、今考えるともったいなかったように思います。

 それでも、帰国間際になってくると若いときの思い出に後々必要かと考えいろいろ見て回り、両親宛てにほとんど船便で送りました。カルカッタの街には中央に大きなマーケットがあり、その中にいろいろお店が出店してました。木彫りを中心としたカシミール専門店や、中でも宝石店はインドならではの石が種類多くあり女性に人気がありました。

 以前にブログの中の写真にいっしよに写ったものがあるかもしれませんが、お土産で珍しいのは大から小まで14頭の象の行進です。また、各州の民族衣装を纏った48の人形は横にずらっと並べてありますので見て楽しいです。これらについても後日ご紹介します。

 写真は椅子の背もたれですが、羊の皮にきれいな刺繍が施されています。背もたれに使ってはもったいないので、これからは鑑賞用に壁に飾ろうと思います。すべて手縫いで色彩豊か、不思議な紋様に無限の広がりを感じます。当時は若いせいもあって美しい民芸品でも興味が薄かったのですが、それにしては結構いろいろ集めまたように思います。これらの民芸品は一つの部屋に飾ってあります。この部屋はインドの間と名づけ、来客の方々に異国情緒を味わって頂いてます。

 この部屋で明日「ピアノホームコンサート」を開きます。曲目はアルベニスの「スペインの歌」が前半の最後を飾ります。この曲にはかなり細かなそして速さもある情熱的、異国的な雰囲気があります。途中ティータイムを作って寛ぎの時間を設け、後半はショパンの「ノクターン遺作」で始まり、一気に哀愁的ムード漂うロマンチックな心情へと移行します。ではカッキーがんばります。

 

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2007年1月19日 (金)

初めて描いた油絵

Dscf0163  小学生の頃は絵を描きに近くのお寺に行って友達と写生を楽しみました。紅葉した大きなイチョウの木を描いたり、また、田んぼに行って上毛三山の一つ裾野の長い榛名山を描きました。しかし、その後はバスケットボールに夢中になり芸術からは遠ざかりました。でも、そのお陰で身長は伸びたようです。

 絵はその後、暫くの間ご無沙汰してましたが、インド滞在中、ガンジス川に比較的近くて私の住まいから5分位の所にあった【ヴィクトリア・メモリアル】という大理石の大きな建造物の堂々とした力強さ、美しさ、神秘性を感じ、ついに日曜日キャンバスを持って恥じを偲んで境内の芝生の上で描き始めました。この建物はヴィクトリア時代の記念建造物です。

 ここはカルカッタの人々の憩いの場とあって、恋人や家族連れがゆったりと寛いでいるではありませんか。描き始めた私の後ろには瞬く間に黒山の人だかりができ、皆、興味津々に何やら言いながら見ていていつまでも離れないのです。日本では描いたことがなく、生まれて初めてここで油絵を描いているのに、このような状況となり、そこから逃げ出せなくなりました。彼らは私がインド人でないことは分かっていて珍しかったのでしょう。筆を動かす度ごとにベンガル語があちこちから聞えてくるのです。自信のない私の手は困り果てました。でも、大方が出来上がるまで精神的重圧を我慢し2時間ほど続けました。

 私の2人の娘は生まれてこのかたずっと家に飾ってあるこの絵を見ています。近年、次女は学校の研修旅行でついにカルカッタを訪問し、彼女の目でこの「ヴィクトリア・メモリアル」を見てきました。父が青年時代を過ごした「異郷の地」に立った時、娘の気持ちはどのように映り揺れ動いたのでしょうか。

 高崎駅前の「どんどん」に2人で行った時にでもゆっくり聞いてみたい。生涯でたった一枚描いた油絵は私の宝となって、今でもピアノのすぐ近くに飾ってあります。

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