カテゴリー「旅行・地域」の15件の記事

2010年7月26日 (月)

中学校同窓会を江戸川の屋形船で実施

 東京に住んでる倉賀野中学校同級生の計らいで、暫くぶりの同窓会が屋形船で行われました。参加者の心はすぐに打ち解け、皆、中学生時代に戻りました。

 以前に職場の旅行で長良川の鵜飼いを見る屋形船に乗ったことがあります。私にとって、今回はそれ以来の屋形船です。

 倉賀野に住む同級生9名は倉賀野駅に集合し、総武線の新小岩駅で下車しました。新小岩駅では東京在住の5名と暫くぶりの再会。ところが、年月が経つと一見して誰だかわからないです。特に女性はすごく変わるような印象を持ちました。昔の恋人も来てドキドキ。

 それでも、男性9名、女性5名の同窓生は昔に戻り、話をするうちに心は倉賀野中時代の生徒に甦りました。

 屋形船内は掘りごたつ様式で足をテーブルの下に出せ疲れません。お料理は海鮮や天ぷらがたくさん出て食べきれないほど。飲み物は飲み放題。私はビールを中心に楽しみました。

 いよいよ出航。2時間半の遊覧の旅の始まりです。屋形船は想像してたより速度が速く、推定20~30Kほどです。水面がピチャピチャと音を立てながら、かなり速く後方へと動いています。室内の周囲は窓ガラスになっており、空調もあり快適です。景色は良く、川幅は次第に広く遠ざかります。屋上に上るとまさにパノラマ。

 コースは江戸川から川幅が広くなった東京湾入り口へ。大型観覧車も目に入ります。舟の進行により、建物の景色は次第に遠ざかります。

 驚いたことにディズニーランドが見えるのです。娘のMarie Persimmon Marshが好きなところで、すでに数回行ってるようです。

 彼女が喜ぶと思い、早速、海上から見たディズニーランドを携帯で撮りメールを送りました。仕事中だったようですが、「羨ましいな」と返信がきました。

 このように海側から見ると新たな感覚で陸地を捉えることができます。この時、私は以前に体験した「海から見る日本列島の旅」を思い出しました。夕刻に横浜を出航。翌日午前に大分港に着く船旅です。16時間ほどの船旅は太平洋側から紀伊半島、室戸岬、足摺岬を眺めたものです。

 何事も角度を変えると新たなことが目に入ったり、新たな感覚、新たな見方ができたり、新たな考えが浮かぶことは知ってましたが、やはり、自分が位置を変えることで、同じことでも新発見に繋がると思ってます。

 屋形船での同窓会は楽しさが満喫できました。それは平素の宴会と異なり、周囲の景色がどんどん移り変わるからです。例えば、他の屋形船とすれ違ったり、多くの水上バイクが気持ちよさそうに轟音とともに走り過ぎます。また、大きな橋の下を何度もくぐることは平素ではありえないことです。

 倉賀野中学校を卒業した私たちの同学年は200名弱でしたが、それを思うと今回の参加者15名はほんの一部です。すでに10名以上が他界し、私の知る限り、先生方もご存命の方は2名となりました。

 卒業以来いつの間にか年月が経過し、幹事さんの計画により、このように江戸川の屋形船で同級会が開けたことは楽しさの極みで夢のようです。今後も、ユニークな企画を考え再会を誓いました。

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2008年12月22日 (月)

待たれる北関東自動車道の全線開通

  北関東の群馬、栃木、茨城の3県を結ぶ「北関東自動車道」は平成23年の全線開通に向けて着々と工事が進められています。先日の12月20日には栃木・茨城間が開通し、常磐道と東北道が高速道でつながり、海なし県である栃木県の方々はスムースに太平洋側へ行けるようになりました。

 群馬県では関越道・高崎ジャンクションから太田までが開通してるので、残る工事区間は太田から東北道までです。このため総延長150キロに及ぶ北関東自動車道はすでに80%が開通しており、待ち遠しい全線開通までいよいよあと2年です。

 現在、経済を中心に、あらゆる面で東京一極集中といわれ、地域格差が拡大しています。全線開通した暁には3県にとって広域連携が可能となり、今までにない強い絆で結ばれ、経済効果は計り知れませんし、北関東の人々の交流が密になるでしょう。

 この3県のGDP=Gross Domestic Product(国内総生産)の合計は26.7兆円(経済産業省)とのことでかなり高いです。輸出製品については、これからは茨城港から海外へ出荷できるでしょう。また。群馬の人にとっても、まもなく開港する「茨城空港」から広域への観光が可能となります。同時に、茨城・栃木の方々はもちろん、全国の方々や海外からも群馬の名峰谷川岳を始めとして、草津・水上・伊香保といった名湯への観光がたやすくなるでしょう。

 東京湾と日本海を結ぶにはすでに上越新幹線がありますが、もうすぐ茨城の海と日本海が自動車道で結ばれ、高速道沿線の人々にとっても産業や文化、観光での往来が活発となり、生活範囲が変化していくと思われます。

 以前は私の家から東北自動車道に乗るまで1時間30分かかりました。これからは短縮され運転が楽になります。実は、レース鳩の個人訓練で栃木県北部や福島県へ行くことがあり、今までは時間がかかり過ぎました。2年後には楽に訓練できるでしょう。高台で見晴らしのよい訓練地を探したいものです。レース鳩にとっても長時間コンテナに揺られず、400Kくらいなら前日持寄りが可能と考えられます。

 最近、ブログで度々書いてますが、私は品位あるスポーツカーを求めてます。高崎インターから乗れば行動範囲が格段に広がり、憧れの日本国内旅行も出発しやすくなります。特にレース鳩関係で親しくしていただいてる茨城の高塚鳩舎へは片道1時間半ほどでしょう。ですから、この自動車道は私にとって高塚鳩舎へ行く専用道路のようです。 

 2年後の北関東自動車道全線開通の暁には、時を同じくして、世界経済が不況から脱出していることを期待します。しかし、何と言っても助手席に座る人の出現こそ望んでやみません。 

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2007年11月 9日 (金)

Discover Japanこそ楽しい旅

 今までで最も時間のかかった長距離列車の旅はインドのカルカッタからデカン高原のカジュラホ遺跡へ行くとき乗った広軌の鉄道かもしれません。2本の線路の間隔があまりにも広くて驚きました。現在の日本の新幹線より広かったように記憶してます。

 次に長かったのは15年程前、家族4人で行った東京~西鹿児島間の寝台特急だったように思います。現在の1人暮らしから考えると夢のようです。3番目は、やはりカルカッタからベンガル湾の近くを走り、海水浴場で有名なオリッサ州プリへの旅行でしょう。15時間ほどかかりました。ここへは二度行き、海水浴とヒンズー寺院遺跡の見物でした。

 近未来の国内旅行は車を使った旅と列車を使う旅が多くなると思います。どちらも目的地があっても途中の名所旧跡や温泉をできるだけ訪れ、日本の良さを再発見する旅にしたいです。一昔前にDiscover Japanという広告を駅で見ましたが、最近はあまり見ません。

 それでも「この言葉は旅の本質を突いてる」と思います。日本人でありながら日本の本物を目で見るチャンスはなかなかないものです。テレビや案内書を通して分かっていても、あくまで仮想体験。その土地の自然や歴史、人間の生活をこの目でみること。耳から入る自然の音や方言、あるいはいろいろ触って知り得る体験。また、地酒を始めとして楽しい名産の舌鼓。

 中でも日本の一番の良さは温泉にあるかもしれません。ひなびた奥山の露天風呂にゆっくり浸かり、四季折々の日本らしさを満喫したいものです。

 度々、話題にしてます旅の手段となる車のゲットですが、アメリカのサブプライムローンの影響が今だ大きいのでしょう。なかなか経済の安定が生じません。暗闇のトンネルを潜り抜けるのは来年でしょうか。日本経済全体がこの影響を大きく受けてるということは私たちはすでにグローバルの中にいることなのでしょう。

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2007年10月19日 (金)

倉賀野神社のお祭りと近郊散策

 本日は倉賀野神社秋の大祭です。早速、参拝に行きましたが、早朝のため一般の人々はいません。昼頃から午後にかけて賑わいを見せるでしょう。さすがに露天商はたくさん来て仕事を始めてました。神殿に向かって今後のことをお願いしましたが、神は叶えてくれるのでしょうか。

 宮司は先代ともども知る方で家を新築する際に地鎮祭で拝んでいただきました。先代は隣接する倉賀野中学校校歌を作詞されました。本日は学校内にある校歌の歌碑を暫し拝見させて頂き、作詞者である先代宮司とともに作曲者である今は亡き私の姉の名を見て、すでに半世紀歌い継がれてきた歴史に感慨を覚えました。

 校歌であっても、芸術の創造は作者がこの世を去った後まで色あせない精神を持ち続け、後世の生徒さんたちへ崇高な理念を訴え続けています。数年前の姉の葬儀では倉賀野中学校校歌を鎮魂曲とし、私は弔問客を前にソプラノサックスを演奏しました。

 神社の裏から西へ散策しますと大鶴巻古墳が聳えてます。早春に一度写真を載せましたが、あの頃は樹木の葉がついていませんでした。おもしろいことに、この古墳のすぐ北に対を成すかのように小鶴巻古墳が存在します。この二つに限らず、比較的近くには浅間山(せんげんやま)古墳など下佐野町にかけて古墳群が散在してます。

 6~7世紀頃と伝えられるこれらの古墳建設には大量の土が必要だった筈です。倉賀野と下佐野の境に位置する付近を見渡しますと不自然に低い土地が広がってます。ここの土を運んで建設したのではないでしようか。

 この他、倉賀野にはたくさんの古墳群が存在していたと伝えられ、現に今でも下町の諏訪神社西にその痕跡が見受けられます。

 中でも奇妙に感ずることは以前にブログに書きましたが、倉賀野の仲町から下町への一帯が不自然に低いです。夭逝した天才画家「かまち」の生家あたりを中心に直径200メートルほどが数メートル低いのです。なぜ低いのかは誰も話題に出しませんが、ここ一帯の土を掘って古墳群を作った可能性は十分にあると私は推測してます。それは倉賀野に山がないからです。ただ言えることは古墳を作るには多量の土を必要とする事実でしょう。6~7世紀のことなので古墳を作った資料はどこにも見当たりません。

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2007年9月10日 (月)

女性ランナーに感動し15k歩く

 昭和の最後ころ高崎商業を卒業した38歳くらいになる人たちの親の会があります。この方々は息子さんたちが野球部であったので応援で幾度となく校歌を歌ったのです。校歌の「山秀麗に水清く」という最初の言葉に由来し「山秀会」(やましゅう会)と名づけてます。

 私が担任したクラスには野球部の生徒が多くいました。また、私は吹奏楽部顧問であったので部員と共に毎回応援に行きました。群馬テレビのインタービューを受けたこともありました。

 このため当時から野球部の保護者でもあり、同時にクラスの保護者でもあるこれらの方々と機会あるごとに懇親会が持たれ、子供さんが卒業して20年経過しても「山秀会」は依然と続いてるのです。

 昨日から1泊2日で吉井町の牛伏ドリームセンターでこの会が開かれ、ビールがおいしくなるためと自分の体力を試そうと私は懇親会場まで約15kを歩き始めたのです。会が始るのは午後6時からですので、3時に家を出れば間に合うだろうと推測し出発しました。父の命日だったので、途中、お線香を持って墓参りもし、帽子にリュックの姿となり、なるべく最短距離を考えながらどんどん歩きました。こんな長い距離を歩くのは暫らくぶりです。しかし、予想に反して15キロは行っても行ってもなかなか着きません。

 吉井町牛伏ドリームセンターは山の中なので、後半、起伏が多く、次第につま先がおかしくなりました。それでも、やっとのことで6時手前にドリームセンターの屋根が見えたときは一人頑張った証でしょうか、嬉しさでほろっときました。ガソリンスタンドの自動販売機で飲み水を買った以外は、ほとんど休憩を取らないでせっせと歩き続けました。

 実は昨日、出発前にテレビで「札幌マラソン」をすべて見たのです。その影響があって急遽歩く気になったのかもしれません。というのは、女性ランナーが男性の中に混ざって、ひた向きに走ってる姿にすごく感動し、この方たちに比べ、私はまだまだ全霊で努力してないと感じてしまったのです。ですから札幌マラソンの女性ランナーの走りを見なければ、15k歩かなかったかもしれません。

 ところで「山秀会」は私より年配の方ばかりで、何だかいつもとは違う楽しさになり、日頃の孤独さはどこかに吹き飛び、ビールは調子良くいただけました。幹事の方から私がドリームセンターまで歩って来たことが紹介され、皆さんから拍手をいただきました。でも、私の内心は女性ランナーのお陰と彼女たちに感謝してました。

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2007年7月26日 (木)

日本を堪能したい

Dscf0880  私のこれからの目標の一つは国内旅行です。今まで行く機会がありませんでした。未だ、北海道や北陸、山陰を始めとして多くの名所を訪れてません。同じ地であっても時季が違えば趣が異なるでしょう。

 それでも一度だけ、印象に残る旅を経験しました。それは「海から見る日本の旅」です。横浜から夕刻、客船に乗り、洋上で翌朝を迎え、その日のお昼頃、大分に着きました。途中、紀伊半島、室戸岬、足摺岬などの先端を太平洋側から見る船旅です。日本列島を客観的に捉えたかな。

Dscf0879_2 今後は積極的に旅に行き、見聞は出来るだけ足で歩いてみたいと思います。私の住まいは群馬ですから日本列島のほぼ真ん中。このため東西南北どこへも比較的便利です。

 目的地までの交通手段は列車、観光バス、マイカーを予定してます。しかし、現在、旅行用の車を持ってません。

Dscf0216   かつての愛車117クーペの雰囲気を持った車はあるでしょうか。そうそうケイマンの黄色はいいね。

 どちらへ行っても宿泊は温泉地の予定です。若い頃、インドの方々にAre you an Anglo-Japanese?と聞かれましたが、私は生粋の日本人なのです。このため温泉が好きです。そしてビールや地酒とともにその地の珍味を味わいたいですね。

Dscf0901 ところが、私にとって旅するには一つ必ずしなければならないことがあるのです。それは忙しい娘に頼めないです。レース鳩の世話を近所の方か友人に依頼する必要があります。レース鳩は雛が生まれる春はよく面倒をみなくてはならないので、この時期は外します。それ以外の時期は餌と水のみで比較的簡単です。

 これらの条件が揃えば(旅々)出かけます。ただ私は一人旅が苦手なので、旅は道連れを望んでます。旅の好きなお伴は生まれるでしょうか。

【写真はびっくり草とオシロイバナ、117クーペ、ケイマン】

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2007年6月25日 (月)

ペンション「ぱられる」の思い出

山形県のスキーメッカ「天元台高原」の「ペンションぱられる」はお薦めです。雪質最高で宿からゲレンドヘ滑って行けます。冬から春にかけてはスノーボード、スキーが楽しめ、初夏から秋にかけては登山、天体観測には打ってつけの標高1350メートルの高原です。

 【ペンションぱられる】で検索されますとアクセスが分かり、予約はすぐ可能です。毎年、味を占めた固定客も来訪しているようです。

 私は以前に一度、雪のない季節に訪れましたが、天体に興味がある私にとりまして見事な星空が心に刻まれてます。この地一帯が高原スキー場であることから山岳地帯の中にあり、街の灯の影響を受けません。一般的に余りきれいでないといわれる日本の空ですが、天元台のように澄み切ってるところは本当に嬉しいものです。

 若いとき見たインド・デカン高原ハイドラバードの降るような無数の星、カトマンズ郊外で見たすぐ手の届くような星座、内モンゴルの草原で見た煌めく星の数々、これらは言葉に言い表せないほど神秘ですが、ここ「ペンションぱられる」に宿泊されての天体観測もしじまの中へ己を旅させることができるでしょう。それは宿がケーブルカーで登りついたところにあるからです。

 ここでの料理のお客の印象は東北一とも評価を得るほどです。それは気さくな美人女将(通称・さちこさん)のもてなしに秘密があります。あるじはスキーの名手(通称・まさるさん)ですから、ご夫妻はペンション経営にはうってつけの才能をお持ちです。3人の男のお子さんもお客様を歓迎します。

 今年の夏、私も訪れたいです。昼間は登山、夜は星空、お風呂の後のビールは文字通り雲上の幸せでしょう。

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2007年4月17日 (火)

インドで驚いたこと

 若き日、日本人学校の教員としてカルカッタに滞在してましたので、時々当時のことが思い出されます。市の中央にマイダンという一面が野原の広大な公園があります。そこには、日陰ができる大きな樹木があちこちにあります。近くには巨大な白亜の建造物ヴィクトリアメモリアルがあり、この界隈はカルカッタで美しいところでしょう。

 ここは職場に行く途中、通過しますので、毎日眺められる楽しみな公園でした。5月の夏休みや日曜日などよく散歩しました。インドの方々もたくさん寛いでいて、大きく枝を広げた木陰で涼んだり、子供たちはクリケットして遊んでいます。近くには大河ガンジスがゆったり流れる大きな町です。

 インド滞在記は一回では書き尽くせませんので、思い出したらその都度、記憶をたどって書いてみようと思います。

 宗教上での風習では葬儀の行列に本当に驚きました。大都会であるのにその目抜き通りを死者を担架のような台に載せ、4人で高く担いで移動し、親族がその後から何やら歌いながらついてくのです。

 ところが、死者は棺には入っておらず、そのままで顔まではっきり見えます。私はカルカッタで多くの亡くなった方々を見てしまいました。

 死者の顔には赤や青、黄色などの原色で化粧のような模様が派手に塗ってあります。手や足にも模様のような色が塗られてます。この行列は長くつづき、親族と思われる人たちが何やら祈祷するかのように悲しそうに民族衣装を纏い歩いているのです。死者のことをヒンズー語でカタムホギャと言いますが、連日のようにカタムホギャの光景を目にしました。

 一方、この風習を見たとき40年ほど昔までの日本の葬式に通ずるとも感じました。子供の頃ジャンボンという行列を良く見たものです。亡くなった方の家から出発し、寺まで行列が行進しました。シンバルのような、しかし、もっと民族的な低い音の打楽器及びボーンと鳴る低音の鐘を交互に叩いて行進し、寺の庭では右回りに確か9回回りました。その音がジャーンとボーンでしたので子供の時、私たちはジャンボンと言いました。そのとき近親者がお金を撒いたので拾って小遣いにしたものです。

 日本の場合はもちろん死者は見えませんが、カルカッタの行列でも音楽を伴なう行列ですので、昔の日本との共通点を感じました。

 しかし、死者の顔がはっきり見えるカルカッタの葬送行進には本当に驚きました。

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2007年3月22日 (木)

先人の知恵

 昔の佇まいを呈する武家屋敷跡を見学してきました。小幡には江戸時代の名残があります。このようなところをゆっくり散策するのは心が落着くものです。

 平成元年から6年間、勤務地が富岡市内でしたので毎日近くを通過してましたが、忙しさもあって途中で見学する気持ちの余裕はありませんでした。同僚と4月に満開の桜の下で一杯飲んだ思い出だけはあります。お酒の魅力の方が大きかったのか。

 今回、彼岸の入りに際して摩崖佛を礼拝しましたが、その折ゆっくり小幡を見学したいと思い、近くに散在する武家屋敷跡を見て回りました。

 私は昔のものを見学する場合、当時の方々のそれを建築した思い、危険回避の工夫、目的遂行の知恵に着眼したいのです。各箇所に必ず工夫が見られます。しかしながら、戦乱の世にあってもあくまで芸術的な趣、格式、威厳を示す工夫が感じられホッとします。

 写真のように屋敷の基礎として石垣が周囲を取り巻いてます。セメントのない時代ですから大小の石を方々から人間戦術で集めてきたのでしょう。あるいは現在のセメント工法より雨風に対する風化が防げるように感じます。積み重ねによる紋様は味わいがあり、重量感や松など植え込みから来る風情は武家屋敷の格式と威厳に通じるようです。

 写真左は内部に入るにわざわざ曲がって出入りする仕組みに石垣が積んであります。直接内部を見られないためや、武士が通過する場合、身分制度による下の者の隠れる位置、あるいは突発的な外部からの攻撃に対する防衛のためかと想像できます。

 この石垣の構造を知るだけでも当時の不安定な世の中、厳しい上下社会の成り立ちがリアルに迫ってきます。

 人類誕生以来の歴史から見れば、江戸時代は昨日のような時間です。基本的にこの時代も今の世も厳しさは不変です。常に不安と安堵が行き来し、どちらかと言えば不安定な世の中であり、先行き分からない気持ちが大でしょう。今の時代も生きていくのは容易なことではありません。お互い心を通わせ、助け合い、つながりを持って人間らしく生きていきたいものです。

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2007年3月21日 (水)

悠久なる万里の長城を散策

426178_121368347986240_100003392251  6000キロに及ぶといわれる大城壁、日本の稚内から鹿児島までが直線距離にして約1800キロですから、いかに長い距離を建設したかが分かります。北方の敵から国を守ろうとした指導者の強靭な意思、代々その目的を引き継ぎ、建設を遂行したところに果てしない民族性を感じます。建設の場所はわざわざ山の稜線から山頂を通って足場の悪いところばかり延々と築き上げられてます。それだけでも作業の困難さは想像を絶します。

 昔の指導者が匈奴や蒙古に備えて築かれたものといわれ、いかに長い間、他民族からの戦いが続き、国を防衛する大変な時代であったのでしょう。私は長城は一つで、それが長く築かれてるものと思っていましたが、場所によっては幾重にも建設されてます。

 万里の長城の下にはトンネルがあります。パオトー行きやウランバートル、あるいはモスクワ行き等の列車の線路が走ってます。列車に乗ってみると大同、張家口などの有名な駅を通過し、この付近でも長城は幾重にも見えました。

 また、途中から海抜が高くなるので列車は勾配のある地点では停車できません。スイッチバックがあります。あれっと思ったら反対方向に動き出しました。でも戻ってるのではなく別の線路に入りますが、それからは景色が逆に動きますので心配でした。私が乗った内モンゴル・パオト―行きの列車は北京発の夜行寝台でしたので長い時間かけて万里の長城付近を過ぎると高地の平原になります。景色を見てもほとんど電灯が見えず、まるで暗黒大陸の中を400メートルもあると思われる長い列車が轟音と共に力強く内モンゴルの大平原を走ります。

 このスイッチバックのとき、我が群馬県の松井田駅を思い出しました。長野県に至るとき碓氷峠に差し掛かるので勾配があり列車は停車できず、いったんスイッチバックで逆に進んで、引込み線に戻り傾斜のない地点に駅舎がありました。皆そこから妙義山まで徒歩で行ったものです。内モンゴル行きの列車に乗りながら昔の松井田駅が脳裏をよぎりました。

 万里の長城はレンガのような比較的大きなブロックを積み重ねて建設されてますので、それを考えただけでも途方もない数です。人類の祖先は考えられないほどの精神力です。

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