カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の43件の記事

2008年6月29日 (日)

お見合いパーティーに参加

Dscf0075  本日、3時から前橋の結婚式場で行なわれた「お見合いパーティー」に思い切り参加してきました。生まれて初めての体験です。あいにくの雨のため、参加予定であった数名の女性は次回に参加を変更し欠席され、男性20名、女性8名という人数的にアンバランスのパーティーでした。

 パーティーのタイトルは「ミドルエイジ」を対象としたもので、年齢的に多くは男女とも40代後半から50代後半の方が多かったように見受けました。一見したところ、参加者の中で私は最も不利で、年齢が一番上であったと思われます。

 全員の男性が全員の女性と1対1で話すチャンスが設けられ、あらかじめ書いておいた略式履歴書をお互いに見せ合い、それを基に3分ほど「ご対面」で話をします。時間が来ると合図があり、隣の人に交代して行きますから、ちょっと話込むとすぐ交代になってしまいます。

 約1時間ほどで1対1の時間が終わると、今度は気に入った人同士で適当に話す時間が設けられ、私はどうしようかとすぐには女性のそばに行かないで、少し離れた場所から全体の様子を見ながら、気に入った1人の女性を眺めていました。

 それでも折角の時間なので、明るく印象的なその女性のところに行ってみました。身長165センチで女性では最も若く39才です。彼女のそばには他の男性も2人ほどいて、あまり話しができませんでした。

 スポーツジムに通い身体を動かすことが得意で、音楽と美術も好きとのこと。また、山登りが好きで、これらの点は共通すると思いました。

 パーティーの最後は配布された用紙に、お互い良かった人の番号に丸をつけ司会者に提出するのです。5人まで丸をつけていいのですが、私は彼女だけに丸をつけました。

Dscf0064  いよいよ固唾を飲んでカップル誕生の結果発表です。初めに司会者から「本日はめでたく3組のカップルが成立です。」と発表がありました。

 番号が読み上げられ、何と、私の番号と彼女の番号がカップル成立として発表され、それほど話をしたわけではないので嬉しいのか、よく分かりませんが、驚きました。

 何せ、全員の中で最も若い女性と最も年齢が上の私がカップル成立となり、他の方に申し訳ない気持ちになりました。年齢差は何と芸能人並み。

 パーティーが終わってから「どこかで話しましょう。」ということになり、夜景の見えるレストランに移動、二人で食事しました。私は車で行ったのでアルコールはご法度ですが、彼女は「ワインを飲んでもいいですか。」というのです。私は「どうぞ」と言いましたが、初めて会う方にしてはずいぶんお飲みになるなと思いました。スポーツが好きなだけあって健康そうに見えました。しかし、これからのことは未知数です。

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2008年3月21日 (金)

海外に依存してる日本の食料

Dscf0229  写真の美しい花とは裏腹に、今日のテーマは食料確保の大切さについて考えてみます。

 約1億2千700万人いる日本人に必要な食料の60パーセント以上を外国から輸入している現実を考えると、輸入調達ルートの確保こそは私たち日本人の生命維持に欠くべからざる重要なことでしょう。

 子々孫々のためには食料自給率を増やす農業改革を進めていかなくては、取り返しのつかない食料不足の時代が来る可能性があり、同時に益々、善隣関係確立ほど大切なことはないでしょう。

Dscf0236_3  外国からの穀物価格の上昇は近年うなぎのぼりであることが、毎月、レース鳩の餌を購入してるとよく分かります。それは近年バイオ燃料にトウモロコシが使われ始めたり、温暖化の影響でしょうか、特に南半球の国々が干ばつや天候不順に見舞われ、今後も益々値上げの方向が強いと思われます。レース鳩を飼育するにも特にトウモロコシの価格高騰で羽数は増やせなくなりました。

Dscf0239  最近、食品に於いて中国産を敬遠する傾向があっても、早めに両国は信頼を回復し、わが国にとって何よりも貴重な輸入ルート確保を閉ざしてはなりません。何が何でも食料の輸入ルート確保を維持していかなくてはならないのです。

 昨年は国内でも食品の偽装が頻発し、安全安心が崩れかけました。これからの時代において、私たち国民一人ひとりや企業でも、改善できることはあるように思います。

Dscf0235 現在、世界の飢餓人口は数億とも言われることを常に忘れず、私たちは結婚式をはじめとして宴会などで、結果的に大量の食べ残しを目にすることがあります。企業も個人も過剰な料理のもてなしは慎むべき時代にしなくてはなりません。

 多少の食料自給率を増やしても国民全体の食料安定供給はできないので、メタボリックシンドロームの原因でもある飽食を慎み、食生活を改善したり、特に外国との永久的友好関係の維持こそは子々孫々の生命線であると思います。

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2007年12月31日 (月)

大晦日に燃えてる心の灯

Dscf0375_2  写真は平成19年、大晦日の今日、南西方向に沈んだ太陽です。いろいろあった1年ですが、一人暮らしの私の心境もたくさんのことがありました。

 今の私は心から探し求めています。

 それは心の通じ合うパートナーです。

 ブログを通じて文章を書くことを覚えました。これからはこれによって培った力を生きるエネルギーに切り換えていきます。

Dscf0383  今まで、毎日書きましたが、本日の大晦日を節目に、これからは1日おきになります。日々、感じたことや、考えたことを文章にできるよう取り組みます。

 ベートーベンの第7シンフォニー第2楽章の味わい深い創作に匹敵する程の文章が書けることを目標に、より磨きをかけたいものです。

 今年1年、ブログをご覧頂き本当に有難うございました。カッキー

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2007年12月30日 (日)

108の煩悩と除夜の鐘

Dscf0063  いよいよ平成19年の大晦日を迎えます。今年の世相を漢字で表わすと「偽」ということだそうですが、新しい年は社会からこのようなことはなくしたいものです。

 生きてると次から次へと人を悩ますことが、毎日のように内外から起こります。しかし、無意識のうちに自分の心に起因してることもあるかもしれません。

 20代の時、インドのガンジス川中流域に位置する「ブダガヤ」の町を訪れました。ここ「ブダガヤ」は釈迦が仏教の悟りを開いた所と伝えられ、ブダガヤのブダとは仏陀に由来するのでしょう。ここにはチベットからの仏教徒が多く訪れ、寺院の周りを右回りで幾度となく歩いたり、正面では日本人から見ると考えられないような正に全身全霊による拝み方をしています。

Dscf0369  それは、ひざまずき、そして全身で地面を這う、うつ伏せの格好で手足を最長に伸ばし、また起立しては合掌し、再び、地面に伏し手足を思い切り伸ばし、起立し念仏を唱えます。これを繰り返すと現実には衣服の前面がすれ切れてしまうので、体の下に戸車のついた板を敷き、それに体を委ねてこの一連の行動を幾度となく繰り返すのです。どれほどの回数であったかは数えませんでしたが、今思うに108回ではなかったかと想像してます。

Dscf0366  当時、仏教について何の勉強もしてなかった私は今思うにずいぶん価値あるところを旅してきたように思います。

 近くを流れるガンジス川では多くの老若男女が一見無我の心境で念仏を唱えながら衣服を纏ったまま水浴してます。インド各地から訪れているようです。こちらはヒンズー教です。

 ところで、日本では大晦日の深夜から元日にかけてと、人間が内面に持つといわれる108の煩悩を打ち払うためといわれ除夜の鐘を鳴らします。私も菩提寺で撞きます。住職でないので確かなことは承知しませんが、煩悩とは、私たちの心の奥に潜む心身を悩ますあらゆる欲望といわれます。

 しかし、この108という数字の由来がよく認識できませんでした。一方、日常よく使われる言葉に、汗水流し苦しんで頑張る姿を「四苦八苦」するといいます。これは仏教用語と思われ、数字に置き換えると「49・89」となります。掛け算にすると4×9=36及び8×9=72です。この36と72をプラスすると108になりますが、もしかして、これは無関係ではないかもしれません。

 四苦八苦とは本来、生きてる間は生まれ出ることに始まり、死ぬまで次から次へと苦しみがあり、それは愛する人との別れをはじめ、反対に嫌いな人とも会わなければならないこと、自らの欲求に自制がなくなることなど、4つのほかにまた4つの苦しみがあることを言うらしいです。

 最近は過疎化のため「除夜の鐘」を打つ人がいなくなり、電気によるオートマチックの除夜の鐘が増えてるそうですが、やはり、この一年を振り返り、心と体で思いを込め叩きたいものです。

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2007年12月28日 (金)

人の幸せとは

Dscf0211  タイトルはあまりにも永遠のテーマ過ぎてブログで書ける類ではありません。それであっても、私たちはより良い生き方として理想を追求し、あるいはそれに一歩でも近づこうと日々考えてるのです。

 益々、本格的な高齢化時代に差し掛かってる現代、万人が最も希求してることは「幸せ」ということ以外にないでしょう。

 本日のニュースが伝えるところによれば、パキスタンのリーダー「ブット女史」が暗殺されるという大悲劇が伝えられてます。

 The pen is mightier than the sword.【言論は武力に勝る】どんなことがあっても反対意見を持つ人を武器で倒すことはあってはなりません。言論は言論によってのみ戦うべきです。彼女はどんな思いで亡くなったことしょう。これ以上の悲劇はありません。パキスタンは20代に滞在していたインドの隣国なので人ごととも思えないです。人と人はいつまで傷つけ合うのでしょう。

 ところで、現実に日本社会全般も少子高齢化が一段と進み、誰もが平等に1年1年、年を重ねていき、次第に身体の自由が利かなくなってきます。いくらそうなっても、私たちはいつまでも人間らしい幸せを追い求めています。

Dscf0213  その基盤にあるのは「夫婦が湧きいずる泉のような会話で、助け合っていくことこそ最大の幸せ」ではないでしょうか。それには、2人でいつまでも健康でいたいものです。

 3年前、妻を亡くした私にとって、このことは毎日、身に染みてます。一人残され、一人暮らしを余儀なくされ、3食とも一人での食事、話したいときに自然に話せる相手がいないのです。

 「人が最も人らしく感ずるのは楽しい話ができることである」と思ってます。妻は3年前の今日亡くなりました。【合掌】

【短歌は病棟にあった妻の作品です。】

 

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2007年12月21日 (金)

ドボルザークのように新世界へ行きたい

Dscf0310  新世界と言っても「あの世」ではありません。そうそう、以前に葬式の香典袋の左上に筆で「新生活」と書くべきところ、「新世界」と書いてしまいました。あれっと、玄関を出る前に気づきました。

 丁度その頃、新世界のシンフォニーを良く聴いていたのです。そのことが頭にあったのでしょう。いとも自然に「新世界」と書いてしまったのです。でも良く考えたら「あの世は新世界かな」とも思いました。いくらなんでも悲しい受付付近で、笑いが起こったら雰囲気を壊すと思い書き直したのです。

 私は脱皮したいことがいくつかあります。写真のように、すごく揺れる橋で下を見ると千尋の谷であっても、一歩一歩進めば目的地に近づくことは分かってます。しかし、人生の橋は予想より長く、思いがけない危険もあるでしょう。果たして向こうに渡りつき脱皮できるでしょうか。   

Dscf0342 そうだ、橋が渡れなければヘリコプターで空から行く方法もありえます。鳩レースでの長距離帰還や英語の語彙そしてピアノなど、今までより明日こそと目標を持って頑張っても、どれもstep by stepで茨の道です。それでも、橋の遥か向こうには女神が微笑んでる気はするのです。気を遣わないで頭を使うべきかもしれません。脳はそうは動きません。

Dscf0281_2  度々、登場するケイマンへの夢はあっても先立つ物の抵抗があります。暫らくは放鳩車アクティーバンです。近未来、ケイマンで国内旅行したい気持ちがあります。実現あるのでしょうか。

 来年こそは橋を渡り、新世界へ行きたいです。レース鳩や語彙そしてピアノで一皮も二皮も向けてみたい。それには今の家庭境遇から脱皮し、温かい家庭が基本と思います。

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2007年11月17日 (土)

鳩舎から滑り落ちた後遺症

Dscf0155  日頃、鳩友としてお世話になってる佐久の浅間山さんの掲示板を拝見し、その内容に似た私の苦い経験を振り返っています。

 長野県では今朝は気温が下がり、鳩舎の階段が凍りついたり霜で滑りやすくなるとのことです。一般的に鳩舎はどうしても高いところにあるので階段の昇り降りを避けるわけにはいかず、気をつけなくてはなりません。

 写真は現在の私の鳩舎です。今から30年程前の鳩舎は手作りでした。階段はしっかりしたものがいいと思い業者に鉄製で作ってもらいました。毎日の管理で昇ったり降りたりしていました。ある日のこと、濡れていたのでしょうか、下から4段目くらいの位置から2段目くらいまで滑ってしまい、尻餅をつく形になりました。大して痛いところも感じなく立ちましたが、下を見たら階段に血痕があるのです。あれ、どこから出たのだろうと思っても傷の場所がすぐには分からなかったのです。

 よく見ましたら右手の手のひらの真ん中が長さ1cm深さ5mmくらいに切れてるのです。階段の溶接箇所にとっさに手をついたからです。この傷では自分で治せないと思い、町内の外科医に行き事情を話しました。医師は消毒し治療として縫い合わせました。手のひらを縫うのですから本当に痛かったです。

 そして年月は過ぎました。しかし、毎年季節の移り変わりになると直った筈の箇所が痛痒い感じでゴリゴリしてました。10年ほど前、かかり付けの内科医にこのことを相談したら、医師は念のために手のひらをレントゲン撮影してくれました。

 まさかと思いました。一目瞭然、何と2つの黒いものが写ってるのです。押すとその位置が動くのです。この内科医は鉄片が残ってると診断してくれました。

 毎年どうもおかしいと感じていたのは当たり前でした。結局、最初の外科医が中をよく見ないで縫ってしまったのです。この鉄片は今でも私の手のひらの中に入ってるのです。

 戦争中、鉄砲の弾を浴びた兵隊さんには弾が入ったままの方が多くおり、その方たちの多くは取り出してないそうです。それは周りの肉が弾を包んでしまってるからだそうで、私の場合も年数が経過してるので同様な状態らしいです。

 1年程前、最初の外科医院へ行きましたら、縫った外科医はすでに他界していました。【合掌】。二代目の息子さんが後を継いでるので、その日は事情を話しただけですが、驚いたことに初診料を請求されました。これは当たり前なのでしょうか。

 明らかに医療ミスと思いましたので再度手紙により私の意見を送りましたら、この医師は医師会に相談したとのことで、その結果、初診料を請求したのは適切であったと返事が来ました。

 治療してくれることもなく、現在も私の手のひらには鉄片が入ったままで不安です。私としてはこれを取り出し、もし神経でも傷つけたらピアノ演奏に差し支えると思い、そのままにしてあるのです。

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2007年10月31日 (水)

山に登り遠方を見る

Dscf0035  最近、私の目の疾患についてブログに載せたことがあります。右目に問題が生じてます。焦点のすぐ右に盲点のように見えない部分があるのです。例えば、左目を閉じて、この文章の始めにあります「最」の字に焦点を合わせると「近」から「私の目」の字が見えないのです。時計の中心を見ると3時の数字が見えません。2時と4時は見えます。

 実生活では左目が補ってるので見えていても、両目で見えてるより半分のパワーでしよう。近年、日本語の文章は横書きが多く、英文や楽譜も読む方向は左から見難い右へと進んでいくので、この不都合を医師に治療してもらいたいのです。

 この半年間、検査で「異常なし」言われ、結局4つの眼科を受診しました。最後は大学病院です。3つ目の眼科では待合室にいましたら、壁の掲示に第2オピニョンを紹介しますとありました。一瞬、この眼科は何だろうと思いました。第2オピニョンとは医師の方から先に提案するのでなく、患者の方から求めるものと思っていました。

 案の定、当院では分からないといわれ紹介状を頂きました。それにしても、この眼科では受診するたびに担当医が変わるので、その度ごとに症状について同じ説明をしなくてはなりません。医療費の点からも効率の悪さも感じます。あげくの果ては他の病院へ行って脳の検査であるMRIを撮影してくるように言われ、撮りに行きました。

 数日後、紹介状を持って大学病院に行きました。検査検査で1日中かかり、それでも4分の3は待合室です。ここでも初診日に担当医師を紹介され安心しました。その日はいろいろ訊かれて診察を受けました。結局、日を改めて精密検査することになり、その日は帰りました。1週間ほどして精密検査当日は1日中検査です。

 しかしながら、初診日に紹介された担当医師は顔を見せません。この日は別の医師による診察で不安になりました。夕方になって今度はヘッドと思われるまたもや別の医師の診察です。初めに紹介された医師は何だったのかと思いました。結局、検査では特に異常は発見されないというのです。

 患者である私は明らかに右目に見えない部分があり困ってるのです。それを信じて治療方法は無いのでしょうか。検査で引っ掛からなくても現実に疾患があるのです。

 振り返ると4つの眼科医院及び別の医院でのMRIなど医療費はかさみました。しかし、結果的に全く治療はありませんでした。

 これを考え、一般的に言って現在の医学では、眼科の分野は他の診療科目に比較して遅れをとってるのか、あるいは何が何でも治療してみせるという意気込みを持った医師が少ないのでしょうか。

 私が自らできることは起床時に目を洗うこと、山に行ってできる限り遠方の山々を見て焦点を合わせてみたいと思います。

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2007年10月22日 (月)

シベリアから最後の便りが届く

Dscf1120   学生時代にFさんの存在を知ってましたが、話したことはなかったです。彼と一緒の授業もあったと記憶してます。それは彼が個性的でバイタリティーに満ち溢れ、夏の日は学校のプールでバタフライで泳ぐのを見かけたりして、元気がいい人という印象がありました。

 私がカルカッタ滞在2年目になったら、何と彼は私と同じ職場である日本人学校へ赴任して来たのです。お互い顔は知ってたので、すぐに打ち解け、その後、カルカッタ日本総領事館内の宿舎で寝食を共にすることになったのです。

 職場も同じ、宿舎も同じですから若き日の私にはやっといい友人ができ、内心良かったと思いました。夏休みや冬休みには共にインド国内旅行に行き、オリッサ州ベンガル湾プリーで海水浴をしたり、その後、ニューデリー、タージマハール、何と言っても雪が降るカシミールで新年を迎え、拙いヒンディー語で現地の方々と交流したことは今となっては懐かしい青春の思い出です。

 彼とは帰国後も同様に行き来してました。彼の結婚式では私は司会を依頼されたので、私のときは逆にしてもらいました。こんなことで変わりない、いい友人でいました。

 その後、1年位して彼はヨーロッパで医師をしてるお兄さんに会うためと言い、またもや海外へ行くとのこと、私は内心思いました。「ずっとインドにいたのだから、そんなにすぐに外国に行かなくてもいいのではないか」と思ったのです。しかも、彼に長男が誕生して間もない時でした。何でそんな時に行ったのでしょう。

 出発の日の朝、電話がかかってきました。「今から新潟へ向かう」というのです。えーと思いました。彼は新潟港から船でナホトカへ向かい、それからシベリア横断鉄道でヨーロッパに行くというのです。

 数日してバイカル湖付近から「今ヨーロッパへ向かってる」と楽しそうな列車の旅の様子が葉書で届き、いつ習ったのかロシア文字も書いてありました。それが彼から私への最後のメッセージになるとは思ってもいませんでした。

 1週間ほどして大ニュース。イタリアのフィレンツェ~ボローニャ間でテロによる列車爆発事故発生。こんな広い世界で何で彼がと思いましたが、帰らぬ人となったのです。たまたま運悪く、近くに座っていたらしいです。亡がらが前橋駅に着いたとき、彼の赤ちゃんや私たちは出迎えました。辛い青春の出来事でした。

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2007年10月18日 (木)

マユミの紅葉の速さに追いつけるか

Dscf1238  1日1日と月日が経つのは早いもので、もう秋真っ只中。ことの他、暑かった今年の夏を忘れかけてます。子供の頃の1年の感覚は長かったようても、年齢と共にその間隔が狭まって感じるのはどうしてでしょう。

Dscf1212  先日、近所のOさんに草むしりをお願いし、樹木の枝の下の部分も切ってもらったので、庭を通る風がスムースに吹き抜けます。どんな樹木でも下の部分をきれいにするとその存在感がでてくると以前に書きましたが、同時に見た目もさっぱりして気持ちいいものです。

 ところで、その晩に草むしりの「ご苦労さん会」を私の家でする筈でしたが、Oさんの奥様が、私の手料理では男手で大変だからと逆にOさん宅に呼ばれ、ご馳走になってしまいました。こちらは庭がきれいになったり、お酒も頂いたりで結果的に一挙両得のようで申し訳なかったです。ご夫妻で山岳家のためでしょうか、心は雄大です。

 来年こそは早めに草むしりの対策を立てたいです。私はどうしたことか腰を傷めやすいので、長い時間は出来ないのです。仕事するには「弘法、筆を選ぶ」といわれ、使いやすい鎌など備えようと思います。シルバーセンターで草むしり専門の方がいるとのことてすから、こちらもお願いし早めに申し込もうと思います。

Dscf1253_2 ところで、左の写真の実は何でしょう。きれいな白と赤に咲き分ける花木です。この実は小さいりんご位の大きさです。これを薄切りにしホワイトリカーにつけておくと、果実酒が出来ると聞きました。お酒の好きな私はすぐ考えてしまいます。これはボケの実です。

Dscf1252  秋も少しずつ深まり、マユミは日ごとに色づいてます。夏暑かったからでしょうか、今年は調子がいいようで、例年に比較してたくさん実をつけてます。これからどれほど濃くなっていくか楽しみです。

 ピアノの部屋の前にあるので中から良く見えます。マユミが色づくのと私の演奏はどちらが先に熟すでしょう。27日のホームコンサートまで頑張らなくてはなりません。 

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2007年10月13日 (土)

何気ない会話こそ楽しい

Dscf1208  1日1日と日没が早まってる秋です。何となく夕方は寂しく感じてなりません。私には家族団らんの夕食がないからでしょう。それでも近くのスーパーへ買出しに行きます。本日はスーパーと同じ所に本屋が開店したので駐車が出来ないほどで混んでいました。

 スーパーに行ったついでに、今回、市から届きました健康保険証が小さくて、カードと同じ大きさで、しかも薄っぺらになり、失う可能性が出てきました。このため本屋で保険証入れを探したのですが、適当な物がありませんでした。自分で作製するつもりです。

 開店でいくら混んでいても知人とはほとんど会いません。不思議なことです。知らない方ばかりです。同じ日本人でも私たちが日常接してる人は九牛の一毛で、ほんの一握りなのですね。

 こんな砂漠のような社会であっても、人として大切なことは可能な限り言葉を交わすことではないでしょうか。自動販売機が多い上に、スーパーでレジ係とお客が顔を合わせてもほとんどの方は黙ってます。私はなるべく声かけるようにし、他のお客が少ない時は、冗談の一つも言って、お礼を述べ帰ります。

Dscf1211_2  本日は5時まで任務であったレジ係の女性2人が仕事から解放され、外のベンチでリラックスしてました。案の定、この女性たちから声をかけられました。私も楽しく話しました。やはり、日々そのように何気なく声をかけてると、先方からも声をかけてくれるもので楽しくなりました。今夜も一人での夕食が始りますが、レジ係の女性たちのお陰で何だか愉快な気持ちになりました。

 明日は上信国境の四阿山(あづまやさん)登山です。サミュエル・トッドさんが知合いの女性2人をお連れするとのことで、中国の方も同行されるようです。多少でも中国語を通して有意義な交流ができたり、暫らくぶりに高山の自然を満喫できればと期待してます。

 また、明日は四阿山・標高2354mの頂上から4羽のレース鳩を我が家に向けて放す予定です。直線距離は約70キロ、標高が高く厳しい山岳地帯から無事帰還するでしょうか。 

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2007年9月18日 (火)

長寿の秘訣はどこに

Dscf1096_2  以前にブログに書きました写真の観葉植物コンシンネは勢いが良くなりました。多少でも熱帯雨林に近いようにと6月から自然に戻してたのです。このように南方の植物は燦々と照りつける太陽と豪雨のような自然の水で生きてたのでしょう。

 観葉植物に関して素人の私ですが「外に植えると、もしかして良くなる」のではないかと昨年試したのです。そしたら、うまくいったのです。今年もご覧のように元気になりほっとしてます。高さが10%ほど伸びました。家の中に入れるのが一仕事です。

Dscf1095  本日、観葉植物用の土を使い鉢植えに戻しました。10月より日が当たる廊下に入れる予定です。そして、秋のピアノ発表会では近くに飾ります。

 ところで、昨日は敬老の日でした。今や65歳以上方々は全人口の4人に1人です。そのうち5.5人に1人の方、つまり約500万人の方が仕事に従事してるといわれます。特に65~70歳くらいでは現役のようでしょう。

 一方、羨ましい100歳以上の方々は全国で30000人といわれ、人口4000人に1人の割合です。しかし、これは100歳になるのが4000分の1の確立ということではありません。

 私の住む高崎市では人口約346000人です。このうち100歳以上の方は116人と発表がありました。身近なところで倉賀野町は人口10000人弱でしょうが、100歳の方が6人おります。最高齢は私が存じ上げてるIさんで104歳です。昔、私の家によく来てくださり父とは親交がありました。子供の頃の私も度々話したことがあり、彼は普通の方より骨格がしっかりし、顔つきが精悍であると感じてました。職業が魚屋さんですから昔からカルシュームの摂取は十分であったと想像できます。

 長寿の方の中には夫婦で100歳以上や、姉妹で100歳以上の方々も見受けられます。このような方々は全国にかなりいるのではないでしょうか。

 これは生活環境が理想的で似てるような食事であったり、血統的なこともあるように思われます。現在のメタボリック・シンドロームとは縁のない生活習慣であることは間違いないでしょう。また、性格が温厚、朗らか、信念をお持ちであることも100歳の方々に共通してることのようです。私は今後の研究の一つとして、これらの方々の生活習慣や精神を学んでいこうと思っています。

 

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2007年9月15日 (土)

日本中で運動会と結婚式

 芸術の秋、スポーツの秋、読書の秋など、これからの季節は気温が適温となり、何をするにもいい気候です。私の場合はとりあえず、中低山などを散策し、自然との触れ合いになります。その点、群馬はいい所です。 

 本当は人との触れ合いを最も希望してるのですが、なかなかチャンスが少なく、ピアノを練習した成果を聴いてもらう程度です。そのときは途中でティータイムを設けるので、お客様と会話が楽しめます。

Dscf0942   ピアノ演奏を人に聴いていただき、楽しむためには事前に練習という努力が必要となります。特に新曲に取り組む場合は指が慣れないので、回数を幾度も繰り返さなくてはなりません。私はそばにノートを置き、練習の範囲を決めて、正の字で数えていきます。1回弾くのに5分かかる曲でも10回ほど弾くのは並大抵ではありません。集中力こそ向上する基本であっても、生来の怠け者ですから、また、家の中では常に一人なので気もどうかしてしまうことがあります。

 それでも、1曲に1ヶ月も費やすと、どうにか形が出来上がり、多少の自身はついてきます。できたら次回にお客様に聴いていただき、自分なりに反省してだんだん血や肉をつけていくようにしてます。この夏はサボり気味だったので、秋はもう少し頑張ろうと思ってます。

 ところで、本日、娘のメモリード・アルカーサル迎賓館結婚式場では、娘の担当するカップルの結婚式があり、家を早く出て行きました。人の幸せのために一生懸命頑張る職業もいいものですね。仕事は大変であっても娘には適してるようで私は良かったと思います。どんなにか母と話がしたいでしょうが、それを口に一切出しません。その分に私が精神的にカバーしてやる必要があると思ってます。

 本日は私の母校である近くの小学校でも運動会でした。元気な声がずっと聞え楽しそうで、昔を思い出しました。きっと日本中では運動会が行なわれたことでしょう。また、本日は結婚式もたくさんあったことでしょう。

Dscf0091 お会いしたことはありませんが、このブログをご覧いただき、レース鳩を飼育されてる九州の皇龍葵号さんの娘さんが本日、結婚式と連絡をいただいてます。私は彼女のご多幸を祈って、群馬より「婚礼の合唱」をピアノで演奏いたします。

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2007年9月12日 (水)

上から見た夢の超特急

Dscf1070  本日は午後から晴れ上がったので、上毛三山の一つ榛名山の山麓へドライブに行きました。ここ一帯は見渡す限り梅の産地です。のどかな丘陵地は自然がいっぱいで散策するにはいいところです。。

 昔、榛名町へは7年間、通勤してました。鉄道が通ってない土地であっても、30年程前には、すでに将来この近くに新幹線が走るといわれてました。現在はトンネルの多い長野新幹線が凄いスピードで通過します。

 写真は榛名山麓を西に向かって通過中の新幹線「あさま」です。ゆるやかな上りの傾斜、しかも、大きくカーブしてる所です。陸橋の上から走ってる怪物を見るのは迫力満点。吸い込まれそうなスリルと目の眩む速さ。あっという間に見えなくなります。

 高崎駅を出た後、安中榛名へ向かう新幹線を待ち受けシャッターを切りました。時速200キロ以上であるのに、デジカメがいいのか腕がいいのか、ぶれてませんね。

Dscf1067  ところで、新幹線を待っている頃、ラジオでは安倍首相の辞任を伝えてました。コメントは控えますが、1年足らずで職を辞されるのは余程のことと思われます。国内外に山積する諸問題は一刻の猶予も許されない時期です。日本のトップが急遽辞するのは、一国民として、国がすごく不安定になってると感じます。

 現在はテロ対策が最大の問題でしょう。日本においても、何時いかなる時、何が起こるかわかりません。このような政治の空白時こそ、危機管理は万全でしょうか。また、年金問題、高齢化、経済の低迷を始めとして、どれも先が見えません。一刻も早く安定した内閣が誕生し、国民にとって不確実さから安心して生活できる方向が待たれます。

 そういう私も精神的に頑張っていても何かが満たされず、毎日やりきれない思いでいるのです。長いトンネルを出てみたい。

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2007年9月 3日 (月)

焼おにぎりがお薦めです。

Dscf1031  最近は比較的頻繁に高崎駅前の「どんどん」に行ってます。ご存知の通り、毎晩ひとりでの夕食なので人が恋しいのです。カウンターで偶然、隣りあったお客さんと話が弾むことがありますが、そうでないときや空いてる時はマスターと四方山話をしながらビールを頂きます。

Dscf1033  以前にこのブログをご覧になった方が新幹線でわざわざ途中下車し「どんどん」に立ち寄ってくれたそうです。マスターが教えてくれました。私は何だか嬉しくなりました。きっと「どんどん」って、どんなお店だろうと思い訪ねてくださったのでしょう。

 私がここをお気に入りなのは、見てる前で「豚キムチ」など焼いてくれたり、新鮮な刺身はもちろん冷えたプレミアムビールを提供したくれるからです。同時に温かで、ひなびた赤提灯的雰囲気がとてもしっくりするのです。

Dscf1034  昭和からですから、既に推定700回くらいお邪魔してます。3年前の妻の葬儀にはマスターご夫妻と、ここで共に仕事をされてる若マスターの息子さん3人が弔問に来てくださいました。あの時は感動しました。連絡もしなかったのですが、新聞をご覧になって来ていただいたのでしょう。

Dscf1036  私が毎回「どんどん」の最後にいただくのは写真の「焼きおにぎり」です。ご飯の中にも工夫がされてるようで、飲んだ後はことの他おいしいのです。皆さんにも味見していただきたいほどです。

 中華のお店のラーメン同様、一般的にこのような「炙り屋」さんでは、もしかして焼おにぎりがおいしく出来るかどうかは「お店の腕の見せ所」かもしれません。

 味は人間の五感の一つですから、いくらおいしくても言葉ではすべてを表現できません。これは音楽と同じでしょう。いいものは実際に味わってこそ、初めてそのよさを知ることができると思います。

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2007年8月25日 (土)

サーカスの意味

Dscf0986  9月から11月まで私の家から歩いて20分程のところに木下サーカスがやってきます。近くに電車が通過するので、それだけでもいい宣伝になるでしよう。サーカスを見るチャンスはあまりないものです。ぜひ、行ってみようと思ってます。

Dscf0987  サーカスは大きなテントを張って各地へ移動するのが通例でしょう。3日前に高崎駅前の「どんどん」に行くので、この場所を歩いて通りましたが、そのときは広い野原に直経約40m程の「円の土台」が掘ってあっただけです。本日はご覧の通り大きなテントが完成してました。出演する動物たちもすでに到着し、キリンだけは首が長いので外から見えます。

 昔、この場所は大きな竜巻が起こったところです。専門家が作るのですから、それも想定内でテントはしっかん固定されてるでしょう。また、近くは住宅街ですからライオン・トラなど猛獣の扱いにはくれぐれも念入りに管理してもらいたいです。

 昔、カルカッタ(現コルカタ)でサーカスを見たことがあります。やはり大きなテントの中で興行してました。これはどの国でも同じなのでしょう。

 ところで、サーカス【circus】という言葉は英語ですが、その語源がギリシャ語の「円」の意味で、ローマでは円形競技場を指してるようです。3日前に「円の土台」が掘ってあるのを見たときは、なるほどサーカスのもとの意味は、この「円」に由来してるということが納得できました。 

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2007年8月23日 (木)

暫らくぶりに?羽を伸ばしました。

Dscf0556  毎日、一人での夕食は味気ないものです。昼食も一人です。食事をするにはその前に食材の買出しがあります。出来合いのおかずは近所のボナーで買いますが、刺身など魚類、野菜、牛乳など他の食材は車で5分ほどのフレッセイに行きます。

 毎回の買出しは一つの仕事になってますので、私は数名のレジの女性と顔なじみになり、必ず私のほうから言葉を交わすように努めてます。これが結構楽しいのです。

 周囲のお客さんを見ていると、レジではほとんど会話する姿がありません。話しても必要なことのみで、これでは自動販売機の前とあまり変わりません。

 次第に言葉が要らない社会や、余分なことを言わない風習になっていくのでしょうか。こんな淋しい世の中ではいけないと思います。

Dscf0560  私は人間にとって楽しいことの一つは話をすることだと思ってます。忙しい時のおしゃべりはいけませんが、人と人ですから顔を合わせたら何か声をかけたいものです。「人には余分なことも心のために必要」と感じています。

 ところで、夕食に変化をもたらすため、昨晩は高崎駅前、馴染みの「どんどん」へ行きました。しかも、家から5キロ歩いて汗かいて、お腹をすかせてです。一杯目の生ビールはいつもの寂しさを完全に吹き飛ばしてくれました。マスターはもちろん女性スタッフとも知り合いで、心は別天地のようです。「秋刀魚の刺身」といつもの「豚串キムチ」そして「焼おにぎり」で十分栄養は摂れました。

 その後、どうしたことか元気が出て、柳川町の「ニューダンチ」へ行きたくなり、行ってしまいました。ここにはピアノがありますので、はじめに「フィリピン国歌」を弾き、拍手に気を良くして、コロブチカ、マイムマイム、オクラホマミキサ「みちのく一人旅」などを弾き、あとはゆったりと孤独でない充実した時間が過ごせ、たまには羽を伸ばすことも大切と思いました。しばらくは行きませんので、ご心配はいりません。

【写真はインドの象牙と木彫】

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2007年8月16日 (木)

先祖の供養~送り火

Dscf0963  私の家系は代が変わるのに年月がかかります。私は父が50才、母が42才のとき生まれました。父母もそれぞれ兄弟では末に生まれたので、父母も親が年を取ってから生まれたのです。

 このため私の4人の祖父母は私が生まれたとき、すでにこの世にいないわけで、それどころか4人とも江戸時代に誕生していたのです。これではどうにも会えません。祖父母に会うことが出来ていたら昔の話をたくさん聞きたかったですが、それは叶いませんでした。

Dscf0964  先祖について考えたとき、その全員がそれぞれ父母を持ってたのですから、200年位前に遡れば予想を上回る人数が一人の人の先祖数になります。1000年も遡ればとんでもない数でしよう。

 私についても、その何万人もの先祖のうち一人でも欠ければ私はこの世に生まれませんでした。そんな風に考えると、すべての先祖に感謝感謝です。大昔に日本の人口はそれ程いないのですから、「日本人はみな共通の先祖を持ってる」ことになります。こんなことから大きく見れば日本人はみな親戚で、外国人と異なる「日本人独特の顔立ち」及び「同じ言葉を話す」のは先祖が共通だからということが頷けます。

 ところが、私たちの先祖が日本に住みついたのは1000年前どころでなく、その前、何万年も石器時代があり、先祖の暮らしを考えるとき、その殆どつまり99%以上の時代を石器時代に生きていた筈ですから、全く濃い近親状態になってると考えられます。

 本日でお盆も終わり送り火です。江戸時代までは旧暦の7月16日であったようです。現在の暦の場合この日では農家が忙しいこともあり、8月16日に月遅れにしたのでしょう。しかし、これで実際には江戸時代のお盆の時期と殆ど同じになってると思われます。

 今の時期、あちこちで盆踊りが開かれます。浴衣を着ての素朴な踊りで楽しいです。由来は承知しませんが、大昔から続いてると思われます。私の想像の範囲ですが、盆踊りは遠い祖先に感謝し、「今、子孫として生きてる喜び」を全身を使って表現する踊りに思えます。

 ところで、私たちの多くは南無阿弥陀佛を唱えます。釈迦が悟りを開いたといわれるインドのブダガヤを訪ねたことがあります。チベットから多くの仏教徒が拝みに来てました。インドでは朝から晩まで挨拶は「ナムステ」です。これはサンスクリット語から来た現代ヒンズー語です。インド滞在中、私も人に会うと必ず「手を合わせて」どれほどこの挨拶をしたか数え切れません。インドの方は街角にいる牛に向かっても、やはり合掌して「ナムステ」を言います。その度に思いました。もしかして、これは南無阿弥陀佛の念仏に関係があるのではないかと直感しました。

【写真は私の家の菩提寺にあるもの】

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2007年8月11日 (土)

アルカーサル迎賓館の豪華な食事会

Dscf0638  娘Marie Persimmon Marshの職場である結婚式場「メモリード・アルカーサル迎賓館高崎」にいつの日か伺い、リッチな気分を味わいたいと思っていました。職場での娘はどうであるか、父として一度だけ客観的に何気なく見たいとも願っていました。

 それは昨晩、一般のお客様を対象とした食事会が開催され、私の願いは思わぬ形で実現しました。

 結婚式の披露宴会場をそのまま利用した今回の食事会は中央にグランドピアノが設置され、お客様のテーブルはそれを囲むように配置されてました。「音楽と食事の融合」を大切としたスタッフのアイディアでしょう。このテーブル配置を拝見しただけで、食事が豪華であることが必然な流れのように感じてしまいます。乾杯の前から心はすでにクラウドセブン。

 天井の高い室内、すべては豪華。新郎新婦が登場すると思われる2階からの白く長い階段が幸せのシンボルに見えます。その光景を想像しただけでも雰囲気はすでに印象的。きれいな衣装を纏った主役の二人が階段の上に姿を見せただけで、披露宴はさぞかし最高潮に盛り上がるでしょう。

 珍しく私は女性と二人でお邪魔しました。支配人さんをはじめスタッフの方々が私たちのテーブルに挨拶に来てくださいました。心に残る食事会を心がけておられることが伝わってきます。さすがサーピス業の最先端。お客様の心をしっかりつかんでるように感じました。

 ところで家では娘として何気なく生活してても、アルカーサル迎賓館で見る娘の動きはきびきび、全体をよく見渡してるように感じました。これもスタッフの皆様に支えられて会得した証でしょう。感謝この上もありません。

 実は私は高崎駅前「どんどん」で2度ほどスタッフの方々と飲食をともにしたことがありましたので、すっかり顔なじみなのです。そんなこともあり今回いっそうの家族的もてなしに感謝です。

 ビールが程よく身体の中に循環しはじめましたら、私の心の中では、どうしても中央にあるグランドピアノが「私に弾いておくれ」と待ってるように見えてしまいました。このためスタッフにお願いしましたら一曲だけ弾かせていただけることになり、待ってましたとばかり「雪が降る」を一気に弾いたのです。弾き終えたら会場から温かい拍手を頂きました。

 今回、豪華な気持ちを味わうことができ「アルカーサル迎賓館」のスタッフの皆様に心より感謝しております。

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2007年8月 6日 (月)

メリハリある生活したい

Dscf0927  梅雨明けが遅くとも、その後は夏らしい日々の到来、毎日、蝉が鳴いてます。鳴いてもうるさく感じないのはどうしてでしょう。比較的、暑さに強い私には子供の頃や、インド時代が思い出されます。

 小学生の頃、どうしたことか学校があまり好きではありませんでした。このため夏休みほど嬉しいことはなく、よく遊びました。町にプールがなく、利根川の支流である烏川へ泳ぎに行きました。川岸は子供たちでいっぱい。浮き輪もないので家から大きめの板を持って行き、浮かべてそれにつかまり、対岸まで泳ぎます。でも川の流れで目的地に着かず、斜めに進んでしまいます。途中、深みもありスリル満点。

 今思うにプールと異なり水に流れがあるので、上流から川に入り、板といっしょに下流まで流れて行くのは努力が要らないので楽しいものです。川の流れに身を任せて進むことは乗り物に乗った感じだからでしょう。山の勾配を利用したスキーやボードに似ています。

 娘たちが小さい時、この烏川で当時飼育していた四国犬とで泳いだことがあります。比較的最近ですから、川ではもう誰も泳いでる時代ではありません。私たちだけです。

 この時、感じたことがあります。川の水は人間の肌にとても柔らかいのです。抵抗感ありません。水温も適温で気持ちは最高。太陽で温まってるのです。これに比較して、現在のプールは衛生第一ですから、水は人工的に作られ硬く感じます。

 日中、かんかん照りであった後の夕立はさっぱりして気持ちがいいものです。昨日の夕刻は一転にわかに曇り、天変地異でも生じたかの如く轟く雷鳴。その後は何もなかったかのように涼しい風が肌をよぎります。このように一日の内でも二面性のある天気はメリハリがあって爽快です。

 そうだ今日は暫らくぶりに高崎駅前「どんどん」でプレミアム生ビールを飲もう。家から5キロ歩いて喉を潤す。これは私のメリハリか。

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2007年8月 5日 (日)

インド人機長に感謝

Dscf0063_2  私の家から御巣鷹山の麓まで車で1時間半ほどです。場所は群馬県西南部の神流川上流を遡り、上野村の山岳地帯に位置します。あの事故から年数が経過しました。検視にあたった近所の医師も今年亡くなりました。

 近年、下仁田町から上野村へ念願のトンネルが開通し、上信越自動車道下仁田インター下車により、以前よりアクセスは楽になりました。トンネル内は上り坂、4分ほどで上野村の高い地点に到達します。

Dscf0183  群馬県に住んでいるので是非、お線香をたむけたいと数年前、一度、一人で訪れました。樹木に覆われた尾根のようにところです。釣鐘がありましたので鳴らし、昇魂の碑の前で深く一礼しました。山奥の静かな所です。多くの尊い命が奪われ、どんなにか無念であったことでしょう。

 実は、私は昔、飛行機で危機一髪を経験したことがあるのです。インドのオリッサ州カタックから「フレンドシップ」という双発プロペラ機に搭乗した時のことです。50人乗りほどの小型機です。ベンガル湾上にサイクロンが接近で、出発が予定より一日延期になりました。それでも翌日、悪雲垂れ込める中にもかかわらず、私を乗せた「フレンドシップ」はカルカッタに向け出発してしまったのです。

Dscf0211  「フレンドシップ」という飛行機は主翼が座席の窓より上についてるので主翼のすぐ下にいた私は主翼やプロペラを下から見ながら外を眺めていました。離陸してまもなくベンガル湾上空は雲行きが怪しくなってきました。

 ついに厚い雨雲に突入。窓の外は一切見えません。すぐ上にある筈の主翼が見えないのです。一瞬、物凄い衝撃があり、機体は推定200メートルほど落下しました。主翼が見えないので取れてしまったのかと恐怖のどん底。乗客は皆真っ青、荷物は天井にぶつかり、体が座席から浮いてしまい肘掛にしがみついてもどうにもなりません。Fasten your beltの赤ランプはついたまま、恐ろしい事態は続きました。

 あの時、あのまま機体が落下してたら、どうにもならなかったでしょう。やっとのことで主翼がついているのが見えたとき、助かったと思いました。そして運良く水平飛行に戻ったのです。インド人機長に感謝。それにしても恐かった。 

  この夏、暫くぶりに御巣鷹山へ慰霊登山に参ります。

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