カテゴリー「音楽」の21件の記事

2008年1月25日 (金)

ストレス解消!あなたはドラマー

Dscf0471  私のブログであなたは気分爽快なドラマーになります。右のブログパーツにはドラムセットとピアニカがあります。

 まず初めにドラムセットの方から叩いてみましょう。ドラムの上をクリックしても音は出ますが、速いリズムは叩けません。しかし、このブログパーツはよく出来ていて、速いリズムや複雑な音の組合わせも可能です。それでは準備しましょう。

 右上にあります□の中の?をクリックして□の外までドラッグ(クリックしたまま移動)してください。各ドラムの上にアルファベットが現われます。

 そしたら、あなたの前にあるキーボードのすぐ前に並んでるCVNMそしてその上にあるFGHJ、その上にあるRとIはドラムと同じ位置に並んでます。右手の指と左手の指に分けて叩いてみると、かなり速く叩けます。あなたはすでに魅惑的なドラマーです。ボリュームを上げればご自分の演奏に酔いしれることでしょう。夜中はボリュームを下げてくださいね。ご近所はあなたが狂ったかと勘違いしてしまいます。尚、モードも変えてみてください。モード3は熱血溢れる雰囲気が漂ってます。もうあなたはドラムの虜でしょう。

 次にピアニカについて説明します。そのままクリックして弾いても音は出ますが、やはり細かい音や速い音の演奏はできません。このためドラムセットと同じ要領でアルファベットを出してください。

 あなたの前にあるキーボードが鍵盤に早代わりです。QからPまでが、ファからラまでになっていて、黒鍵はすぐ上の間にある数字の位置です。及び下にあるZから>までがシから一番上のドになっており、同様にして黒鍵はすぐ上にあるADFHJKとなってるのでピアノなどの鍵盤と同じです。同時にいくつかの音も出ます。

 それでは知ってる曲を弾いてみてください。位置について把握するとすぐ慣れると思います。初めは白鍵のみで弾いてみてください。

 なお、ドラムや鍵盤上のアルファベットを解除するのは□の?をクリックし指を離してマウスを動かしてください。

 ドラムセットにしてもピアニカにしてもパソコンで演奏を楽しめるのですから素晴らしい時代です。演奏に慣れたら「恋人のために」という音楽をぜひ作曲されますようお願いいたします。 

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2007年12月20日 (木)

なぜ年末に第九が演奏されるのでしょう。

Dscf0346  Freude schoner Gotterfunken Tochter aus Elysiumと歌われるベートーベンの第九は日本で12月に150回以上演奏されるといわれます。

 青年時代のベートーベンはシラー文学へ造詣を深め、彼の作品「歓喜」に謳われた崇高な人類愛に傾倒し、その全節に音楽をつけようと志したといわれます。この詩に出会ってから第九が完成するまで実に30年もの歳月を費やし、生涯をかけて取り組んだ作品といえるでしょう。

 日本で初めて第九が歌われたのは90年前、徳島県鳴門市で行なわれたドイツ兵捕虜による演奏ということです。ドイツでは昔から大晦日に第九を演奏する習慣があったといわれ、彼らも故郷を懐かしんで歌ったのかもしれません。

 一方、指揮者ローゼンシュトック氏がドイツでは大晦日に第九を演奏する習慣があることを日本の楽壇に紹介したともいわれます。

 これと同じようなことで、イギリスでは「Auld Lang Syne」(蛍の光)が大晦日の深夜に歌われ、新年を迎える習慣が現在でも行なわれてるとイギリス人から聞いたことがあります。

Dscf0345 ところで、日本では「なぜ第九が年末の恒例になったのでしょう。」

   これについて私の考えは次の通りです。まず「歓喜の歌」が大変覚えやすい旋律であることが考えられます。この理由は日本人が得意とする「五音音階」でできてることにより、異国の感じがなく、気持ちがしっくりするのでしょう。日本の昔からの民謡や演歌の殆どは「ドレミファソラシド」をすべて使ってません。楽譜を調べれば「五音音階」であることが分かります。

 歓喜の歌の主旋律は「ドレミファソ」のみで作曲され、「シ」と「ラ」が抜けてます。以前にブログで書きましたが、作詞者がシラーなのでベートーベン得意のユーモアにより、意識して「シ」と「ラ」を抜いたとも考えられ、もしそうなら、すごい洒落男です。

 現実に戻って、どなたでも生活の大切な基盤は経済です。声楽のソリストやオーケストラの楽員は会社員のようなボーナスを自分たちで年末に稼がなくてはなりません。経済を考えると年末に第九を演奏しないわけにはいかないと思います。

 合唱団や聴衆は1年の締めくくりとして、これを歌ったり聴いたりしないと年が越せない心境であっても、オーケストラ楽員などにとっては平素の定期演奏会とは雲泥の差で集客率の良い「第九」を演奏しないと遣り繰りがつかない台所事情があると考えられます。

 こんな現実があっても、年末には第九を歌ったり鑑賞して、Alle Menschen werden Bruder(すべての人々は兄弟になる)の願いのもと、来年こそは世界から飢餓や病気を減らし、住みよい地球にしたいと願わずにはいられません。それにしても「1万人の第九」はすごい迫力で、これだけの人数が共に行動することは他に類を見ないでしょう。

 最後に付加えたいことは「第九」の作詞者であるシラーはこの曲が完成する19年前に世を去り、自身が作詩した「歓喜」を「第九」の音楽で聴いてないです。

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2007年10月17日 (水)

魅力あるクラシックサックスの音色

Dscf1236  ベルギーのディナン市にはアドルフ・サックス通りがあります。この通りは19世紀初頭に生まれたサックス発明家アドルフ・サックスに因んで命名されたのです。

 この楽器の音色に魅せられ、私が始めたのは17才の時です。初めはテノール、その後、暫らくアルトに転向。現在はソプラノのみ演奏します。知る人ぞ知る日本クラシックサックス界のパイオニア故・阪口新氏について学びました。氏は世界的巨匠マルセル・ミュールのレコードを時たま聴かせてくださり、エチュードはこれまたマルセル・ミュールの執筆によるものです。

 田舎にいてはサックスといえばジャズと結びつく認識だけでしたが、本来は楽器の中でも表情がかなり豊かで、卓越した演奏家による音色は音楽のあるべき理想的表現を有してるように感じます。現代の作曲家・木下牧子さんがクラシックサックスの魅力に感銘された話は有名です。

 時代が進み、現在では世界はもちろん日本でも世界的クラシックサックス奏者が生まれ、この楽器のステイタスはかなり知られるようになりました。

Dscf1232  前述のように楽器が発明されたのが遅いため、18世紀や19世紀中頃までの大作曲家には作品がありません。

 それでもこの楽器の価値を見出したロマン派のビゼーは名作「アルルの女」の中で、前奏曲や間奏曲にアルトサックスの独奏を取り入れ大成功を博しています。ご存知の通り、ラベルの「ボレロ」ではソプラニーノやテノールがソロを受け持ち、ムソルグスキー作曲、ラベル編曲の「展覧会の絵」では「古城」でアルトが歌曲風でしみじみした旋律を奏でます。

 20世紀になって、フランスやロシアの大作曲家を中心にコンチェルトが作曲され始め、この楽器のクラシック音楽界への存在が次第に浸透してきました。中でも傑作中の傑作はイベールの協奏曲とグラズノフの協奏曲でしょう。国内外のコンクール課題曲になったり、演奏会で聴く機会が多くなりました。また、ヒンデミットのソナタは、これまたサックスの持つ表現力を遺憾なく発揮した名作でしょう。殊に第一楽章のゆっくりした旋律は、この楽器の持味である音色が心を十分に満たしてくれます。

 しかしながら、現在でもクラシックサックスを鑑賞するチャンスはまだまだ少ないです。これは奏者が少ないからでしょう。それでもポスターをよく注意されますと時々リサイタルがありますので、お薦めです。

 本日は午後7時から高崎市コアホールにて女流サックス奏者による演奏会があります。暫らくぶりにクラシックサックスの音色に浸れるかとワクワクしてます。その後、高崎駅前「どんどん」で余韻を楽しめたら極楽ですね。「こらっ、カッキー、また行くのか」と聞えてきそうです。

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2007年8月18日 (土)

ビドロはラベルの勘違い?

Dscf0957  以前にロシアの作曲家ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」について書いたことがあります。ムソルグスキーの友人で画家のガルトマンが39才の若さでこの世を立ち、残された絵画の遺作展が開かれました。展覧会場を訪れたムソルグスキーの落胆振りは大変なものだったと伝えられてます。そこで彼はガルトマンの絵を音楽にすることを思い立ち、10枚の絵に曲をつけました。ですから絵の題名と曲名は一致し、ムソルグスキーはピアノ曲として作曲しました。

 近年、作曲家・團伊玖磨氏はこの曲の原画となったガルトマンの絵が今でも保存されてるのではないかと、ロシアの美術館や関係する学校などへ探しに行きました。昔のことで当時の関係者は生存してません。10枚の絵がすべて見つかったわけではないようです。

 彼が疑問に思ったのは「ビドロ」という音楽です。ビドロという言葉は「牛車」という意味があり、大平原を行く2頭立と思われましたが、残念にもそれに相当する絵画は発見できなかったのです。

 ご存知の通り、この「展覧会の絵」の音楽は元々が色彩的な絵画ですから、ピアノよりもオーケストラでの演奏がより効果があると考えられ、後に多くの音楽家が管弦楽に編曲しました。中でもフランスのラベルのオーケストレーションが群を抜いて有名です。

 ところで、私たちが原曲であるピアノ曲を聴きますと、大平原を行くのどかな牛車の雰囲気というより、もっと重々しく、暗いイメージを通り越して、悲痛な叫び、痛々しい悲惨なことのように感じられます。もしかして、團伊玖磨氏は原曲の必要以上に暗いイメージを不自然に思い、原画は「本当に牛車だろうか」と確認するためロシアへ行かれたのかもしれません。

 つまり、原曲のピアノ曲と、ラベルのオーケストラ版がイメージにおいて差が出てしまってるのです。ラベルは牛が鳴いてる感じとしてチューバを使い、その雰囲気をよく出してます。彼はビドロの意味を「牛車」とし編曲したのでしょう。もしかして、これは原画と異なってる可能性が考えらるのです。

 團伊玖磨氏がロシアで見たガルトマンの絵に牛車の絵画は発見できず、その代わり、民衆が苦しんでる絵画、傷ついた人々の絵画が数枚あったといわれます。

 後に「ビドロ」という言葉には「牛車」という意味の他に「苦しみ」という意味もあることがわかり、最近ではガルトマンの原画は「民衆の苦しみ」の絵画ではないかと考えられています。時代や国を考えるとラベルはガルトマンの遺作展に行ってないと思われます。

 暫らくぶりに「展覧会の絵」のピアノ版とオーケストラ版を聴きたくなりました。

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2007年8月 8日 (水)

ユーモアか偶然か~ベートーヴェンの第九

Dscf0943   第九交響曲に謳われた人類愛は混迷続く今の世にも通じるあまりにも壮大なテーマでしょう。ベートーヴェンが詩人シラーの詩に出会ってから曲が完成するまで、実に30年もの年月を費やたといわれます。20代から晩年まで、この詩の偉大さと崇高さに陶酔し作曲を続けたことになります。

 ご存知のように第4楽章に独唱者4人と合唱による声楽が加わります。私は一度、合唱の一員としてバスパートを歌ったことがあります。

 私がかつて担当した生徒さんは高校生の時から30年間、群馬交響楽団の第九演奏会に出演しつづけています。誠に素晴らしく思います。あるいはこのくらい歌い込んでベートーベンやシラーの心境に近づけるのかもしれません。

 【原詩】Freude, schonel Gotterfunken, Tochter aus Elysium,

Wir betreten feuertrunken, Himmlische dein Heiligtum !

Deine Zauber binden wiedel, was die Mode streng geteil,

Alle Menschen werden brudel, wo dein sanfter Flugel weilt.

 【訳】喜びよ、美しい神々の火花よ、天井の楽園の乙女よ、我らは炎のように酔いしれて、崇高なあなたの声域に入るのだ。あなたの魔法は時流が厳しく切り離したものを再び結び合わせる。あなたの柔らかな翼のとどまる所で、すべての人々は兄弟になる。

 旋律は比較的簡単に口ずさめる歓喜の歌です。30年費やして考えついたこの旋律は単純な音符の連続で作曲されてます。偉大な作曲家であるからこそ「単純の中に美を発見してる」と言えるかもしれません。

 ベートーヴェンはこの歌を【ドレミファソ】の五音のみで作曲してるのです。残りの【シ】と【ラ】を使ってません。それであっても、人々に2つの音が抜けてることを全く感じさせないところに超人たる所以があるでしょう。

 実は私は以前からベートーヴェンはユーモアのある人だったのではないかと思えてならないのです。というのは、「彼はこの旋律に【ドレミファソ】のみを使っていて、【シ】と【ラ】は一見ないけれど、「作詞者がシラーなので」その意味で【シ】と【ラ】はちゃんと入れてるよ」と言ってるように思えてならないのです。

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2007年7月25日 (水)

知事の隣で音楽鑑賞

Dscf0402  先日、群馬県知事選挙が行なわれ、4期16年続いてきた知事さんの5選はなりませんでした。長いこと県政のために卓越した手腕を発揮され、多面にわたりご尽力されました。心より感謝申し上げます。

 最後の定例会見では、これからも県民のために一生をささげたいと話され、郷土が発展することを望んでおられると報道がありました。本当にお疲れ様でした。私の仕事は群馬県で採用ですから、広義には職務で長いことお世話になったことになります。

 ところで、1度この知事さんと前橋市民文化会館で席が隣になり、話しをしたことがあります。秋に開催されます県主催の「高校芸術祭音楽部門」に知事さんの息子さんがピアノ演奏で出演したのです。息子さんは私の学校に在籍してましたので、前日の練習終了後、息子さんに尋ねたのです。「明日、お父さんは聴きに来るかね」と訊きましたら、「聴きに行きたいと言ってました。」と言うのです。これは大変。保護者として来られても、県主催の行事ですから、知事さんとして接待しなくてはなりません。

 当日、ついに見えました。早速、挨拶しホール内へ案内です。中央の席に着席されましたので、失礼かもしれませんが、私は息子さんの顧問なので隣に座らせてもらいました。プログラムが進んで、司会者の放送により息子さんの名がホールに響きましたら、多少、落着かない父親の顔になったようでした。

 演奏は練習よりよく出来たように感じました。さすが本番に強いのは遺伝子かと内心思いました。息子さんの演奏が終わっても、すぐに席を立たず、他の生徒さんの演奏もしばらく鑑賞されてました。

 私は知事さんに、息子さんの学校での練習の様子と本番の出来栄えについて感想を申し上げることができ、2度とない珍しい経験となりました。

 なお、卒業式に来られたことがあります。県立高校ですし、現職の知事ですから当然、ステージに登壇していただこうとお願いしましたが、今日は保護者として来たのでと仰り、一般の保護者席に座っておられたのも、お人柄がにじみ出ていました。

【写真は群馬県庁展望台からの眺め】

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2007年7月 9日 (月)

ある画家と作曲家のきずな

Dscf0818  私は若い頃からロシアの作曲家ムソルグスキーの独特な作風が気に入ってました。作曲を独学で勉強したと伝えられています。中でも組曲「展覧会の絵」という作品はとりわれ独創的に感じられます。

 ご存知の通り、彼の友人である画家ガルトマンが39歳という若さで世を去りました。生前、芸術家同士として親交の深かったムソルグスキーはとりわけ悲嘆にくれたと伝えられています。

 ガルトマンの死後、残された絵画の展覧会が開かれました。主人のいない寂しい展覧会です。たくさんの作品が「主人の命は絶えても芸術は生きてる」ことを物語る遺作展です。

 友を失ったムソルグスキーの心境は、展覧会場に行けば悲しみの中にも作品を通して彼の魂に会えるような気がしたのでしょうか。1枚の絵を見てはガルトマンとの生前のことを思い出し、あるいは彼が表現したかった内面を汲み取ろうとし、そして、また次の絵と足を運んだのでしょう。

 ついに、鑑賞しながら「よしっ、彼の絵画の魂を音楽で表そう」と思っ立ったのです。それが自分に出来るガルトマンへの最も良い供養であると考えたのかもしれません。

 たくさんある絵の中から10枚の絵を見て作曲したのです。絵には、イタリアの古城で歌を歌ってる人の絵などゆったりしたものもありますが、概して不気味なものが多く、イタリア・カタコンブ地下墓地内の自画像、一般民衆の苦しみ、対照的な2人のポーランド系ユダヤ人の絵、ロシアの民話に基づく絵、ウクライナのキエフの大きな門の設計図などです。キエフの大きな門では高い位置に幾つも釣鐘が描いてあるので、その音を想像し、あたかも鐘の音が聞えるように工夫し作曲してます。

 この音楽の特徴は、絵と絵の間を歩くムソルグスキーの悲しい心境がプロムナードというメロディーによって幾度となく変化しながら演奏され、全曲に統一性を与えてます。

 私が最も圧巻と感じるプロムナードは、地下墓地カタコンブの暗闇の中をガルトマン自身が見学している絵です。ムソルグスキーが絵の中にいる彼に話しかけてます。悲しい心情が溢れ出ています。

彼はピアノ独奏用に作曲しました。後に、この曲はラベルを始めとして何人かによってオーケストラに編曲され、より親しみを持たれたと言えるでしょう。

 作曲家、故 團伊玖磨さんはこの曲に非常に関心を持たれ、ガルトマンの絵を探しにわざわざロシアの学校や美術館を訪れたそうです。しかし、だいぶ昔のことで遺作展に飾られた絵はすべては見つからなかったようです。

 私は学生時代、ラベル編曲のこの「展覧会の絵」を吹奏楽に編曲したことがあります。運良くNHKラジオで放送されました。演奏していただいたのは高崎商業吹奏楽部です。

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2007年6月13日 (水)

むなしく老いぬ

Dscf0168_1  世界の名曲にはしみじみと心を打つものがあります。私にとってスウェーデン民謡「むなしく老いぬ」もその一曲です。漁師の妻が毎日磯に立ちて沖を眺め、夫の帰りを待つのです。しかし、待てど待てど帰らぬ夫。漁船は波に飲まれたのだろうか。哀れにも磯に立つ妻はむなしく老いてゆく。

 「日ごと磯に沖見るおみな、波の彼方に何をかこうる。待てど待てど帰らぬ我が夫(せ)舟かやれにし舵をかたえし、ああ、哀れや夫を待つおみな、磯に年経てむなしく老いぬ」

 ロシア民謡「仕事の歌」

 悲しい歌、嬉しい歌たくさん聴いた中で、忘れられぬ一つの歌、それは仕事の歌。ヘィ、この若者よ、へィ前へと進め、さあ、みんな前へ進め。

 スコットランド民謡「ロッホローモンド」

  By yon bonnie banks and by yon bonie braes, Where the sun shines bright on Loch Lomond, Where me and my true love were ever wont to gae, On the bonnie bonnie banks of Loch Lomond.楽しかった思い出の湖、失った愛への嘆きを歌ってます。スコットランドにあるローモンド湖はグラスゴーの北部にある入り江の美しい湖。いつかは訪れたいですね。

 シューベルト冬の旅より「菩提樹」

  Am Brunnen vor dem Tore, Da steht ein Lindenbaum, Ich traumt' in seinem Shatten So manchen sussen Traum. Ich schnitt in seine Rinde So manches liebe Wort, Es zog in Freuud' und Leide Zu ihm mich immer fort.城門の前の泉のほとりに一本の菩提樹が立っている。その木陰で私はたくさんの甘い夢を見た。その樹の肌に多くの愛の言葉を彫った。喜びにつけ、悲しみにつけ、いつもその樹の方へ惹かれてゆく。するとその樹の枝が私に向かってささやいた。「ぼくのところへ来たまへ、ここなら君は安らぎを得るのだ」

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2007年5月31日 (木)

新たな分野、筝と洋楽との融合

Dscf0484  昨日書きましたギターと同じ弦楽器であっても筝曲についてはなかなか聴くことはありませんでした。前橋市民会館などで生演奏を聴くことは数年に一回です。今後はもっと足を運び、筝の響きを味わいたいものです。

 筝そのものは私の友人が販売の仕事をしているので、時々拝見します。今回CDで10曲鑑賞しましたので感想を持ちました。

 ご存知の通り、弦ははじいても音が出ますし、叩いても出ますし、擦っても出ます。はじいて音が出るのは筝、三味線、ギター、マンドリン、チェンバロ、琵琶などでしょう。叩いて音を出すものは少ないですね。、ピアノやジプシーのツィンバロン、中国の揚琴(ヤンチン)位でしょうか。内モンゴルのパオの中で揚琴の演奏を聴いたことがあります。また、擦って出すものはバイオリンなど西欧の弦楽器などです。このうち音が良く伸びものは擦る楽器です。同じ弦楽器でも音の出し方はいろいろですね。

 今回、聴いた曲のうち印象に残った曲は「平城山」「さくらさくら」「お江戸日本橋」です。「千鳥の曲」や「六段」も聴きました。前者はオーケストラとの共演です。私が洋楽に親しんできたためか前者の3曲が素晴らしく感じました。これは同じ弦楽器であっても、前述の「音の出し方」が対比的なために、それぞれ個性が出て共演が新鮮に聴こえたのかもしれません。

 筝曲は純然たる日本の伝統音楽ですが、楽器の性質でしょうか。演奏を聴いて洋楽とはすごく融合するように感じました。音色そのものも西欧音楽と結びつき易いのでしょうか。これは先ほどの「音の出し方」の対比と、日本音楽と洋楽とが相違しても、弦の響きという共通性からくるのでしょうか。すごくマッチしてます。

 これから邦楽と洋楽との融合は、新たな分野として広がり、その中でも筝が果たしていく役目は確かと思いました。

 筝はもちろん、今まで国別に発展してきた文化は今後、いろんな分野で世界と手を取る融合の時代に入ってるのでしょうか。

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2007年4月19日 (木)

ショパンの雨だれ

Dscf0615 Dscf0617  春爛漫の気候の時期に毎日寒くて雨ばかり降っていました。鳩舎を改築中ですので、大工さんも寒い中の仕事でやりにくかったと思います。

 それでもお願いしたとおりに次第に完成に近づきますと、今までより管理しやすそうな景観に近づいてきますので何となくウキウキしてくるものです。

 毎日、同じような日々を過ごしていても何かしら変化や新たなることに接していき、今までより高い精神を持ちたいものです。

Dscf0616 ピアノ曲「雨だれ」は憂鬱な気持ちの中にも少しでも明るさを求めて変化していく精神を内包してるように感じます。曲は終始「ラが半音下がった音」を鳴らし、絶え間ない雨だれの雰囲気を醸し出しています。しかし、その音は優しく響いたり、他の音と共鳴し合ったり、クレッシェンドしてついには嵐の如く激しく鳴ったり、そして再び静まり返ったりして同じ音であっても表情にいろいろの変化を見せます。

 楽譜のようにこの曲の中間部は、まるで夜中に密林の中を何頭もの象が行進してるかのような不気味な雰囲気で、しかも、その重い足取りはのっそのっそと次第にこちらに近づいて来るような恐ろしい世界です。暗闇に迷い込んでしまった自分が恐怖から脱出できなくて、もう怖くてそこから逃げられない世界に身を置いてしまってます。

 Dscf0618 引きつづき象は行進してますが、次第に遠ざかってやれやれどこかに行き、足音は聞こえなくなります。

 ああよかったと胸を撫で下ろし、明るい日の光も差し込んできて今まではどうしてたんだろうと思うような優しく愛に満ちたメロディーがやってきてほっとします。しかしながら、それでも「ラが半音下がった音」はずっと鳴り続けます。

 この音楽は同じ音を単純にしかも同じリズムで鳴らすという憂鬱感を「統一」とし、一方、クレッシェンドなどにより音の大きさ、また、メロディーが優美な響きを持って希望に「変化」させ、聴き手の心を不安から安堵へと導いてくれるようです。

 日々の生活で私たちは、憂鬱な天気の日や物事がうまく行かない日があるものです。それでもショパンの「雨だれ前奏曲」のように、ひとしずくの期待をもって明日につなげたいものです。

 自然界の音は昔から「ラ」に近いと考えられていたようです。ショパンはそれになお現実味を入れ、半音下げ響きをより陰鬱にしたところがこの曲の聴きどころと思います。

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2007年4月 8日 (日)

集中3時間

Dscf0567 Dscf0566 Dscf0568 若き日、聴音の力をつけたくて日曜日に東京の先生の家にレッスンに行きました。聴音とは音楽を聴いてそれを楽譜に書き取る学習です。

 先生の弾くピアノの音に耳を澄ませて4~5回聴いて、ドレミを聴き分け、リズムも聴き取って楽譜に仕上げるのです。短い4小節の旋律であっても音符の数は40個くらいあります。ハ長調はもちろん、あらゆる長調・短調を含むメロディーを3時間ぶっ通しで弾かれるのです。

 その間、先生は生徒に気分転換の休み時間を取らせることもなく、連続して40問弾きました。1問弾き終わると、すぐに赤鉛筆で間違いを指摘し修正してくれるのです。それまで何事にも3時間集中して学習できなかった私にとって、このやり方は気持ちが参りました。

 先生は「鋭い音感を養うには連続学習こそ欠くべからざるもの」と考えられたのでしょう。他のことを一切考える暇を与えず、ひたすらピアノの音を聴いて楽譜にすることに没頭してると、疲れていても途中から調子が出てきて正解が連続することもあり、人間の脳は不思議です。

 お陰で40年経った今でも、その習慣が抜けず音楽を聴くと頭の底にその楽譜が浮かび上がるのです。若いときの訓練は生きてるのですね。先生は今ではこの世にいなく寂しい限りですが、非常に感謝してます。

 年齢を重ねてくると新たなことに挑戦しても目標に達成できないこともあります。しかし、事と場合によっては年齢に関係なく、連続的に集中して行なえば実現できる可能性はあると思っています。

 例えば、いわゆる中高年になって「何かの資格を取得する決意が生じたとき」や、「手の届く夢」「どうしても成しえたい明確な目標があれば」その達成は年齢に関係ないかもしれません。

 先日、書きましたように私は現在、英単語の語彙を増やすという遠大な目標、また、大作曲家の数々の名作をピアノで弾くという挑戦、及びレース鳩を研究飼育し、北海道から群馬へ帰還できる長距離鳩を育て上げたいという強い志があります。

 ところで、人間の脳は「自分の出した声を自分で聴くことで記憶力が数倍増してゆく」と聞いたことがあります。英語や音楽はまさに耳を媒介とするもの、これからも集中して物事に当たりたい。また、優れたレース鳩の育成をいつまでも追求したい。

 「自分の可能性に見切りをつけたとき青春は終わる」らしいです。

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2007年3月26日 (月)

歌い継がれる校歌

Dscf0413_1 Dscf0453 甲子園での熱戦をときどきテレビで拝見します。最近は勝敗に関わらず両校の校歌が大会本部から流れるので大きな変革と思っています。

 どの学校の校歌も歌詞の内容や旋律にそれぞれの伝統が詰まっているのでしょう。みな誇らしげに歌います。特に勝利した後ホームベース上で一列になって歌え、それが同時に電波に乗って全国に響き渡るのですから名誉この上もありません。

 校歌が流れる時、私が最も注意してるのは校歌の歌詞、作詞家、作曲家です。長い歴史を持ってる学校に於いては作詞家、作曲家はすでにこの世を去った方が多いと思われます。にもかかわらず、時代を超えその芸術がいきいきと現在に響き渡るという創造性の偉大さです。芸術が時代を超えて心を打つ瞬間です。

 時間の都合があり1番のみの演奏ですが、2番、3番あるいは4番も聴いてみたいものです。私は職業柄、特に旋律に関心があり耳を済ませて聴いています。作詞家同様、作曲家については明治、大正、昭和初期にかけて活躍された著名な方が見受けられ、こんな有名な方の作曲によるのかと感嘆すること度々です。また、おもしろいことに学校が違っていても同じ作曲家が登場することもあります。これらの学校は校歌に於いては兄弟校といえるでしょう。

 しかしながら、甲子園に出場するのは全国のほんの一部です。女子高校も含めたくさんの高校が自慢の校歌の持ち主でしょう。それらを拝聴できないのはもったいないことです。宝は仕舞ったままもいいのでしょうが、生徒さんの活躍によっては全国に日の目を見ることもあるでしょう。校歌の他、応援歌、凱旋歌に素晴らしい歌詞や名旋律を持ってる学校もあります。これらが脈々と歌い継がれて行くことは音楽芸術の特徴と言えるでしょう。

 県内では前橋高校及び高崎商業の校歌が歌詞、旋律ともに燦然とした輝きが感じられます。著名な作詞家、作曲家により作られた芸術はどこか味に深みがあります。

【写真右は土佐ミズキ】

 

 

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2007年3月24日 (土)

リサイタル本番前の心境

Dscf0458_2 Dscf0306_2  今まで音楽の演奏は群馬音楽センターで吹奏楽による定期演奏会の指揮を11年間やりました。また、前橋市民会館で7年間行ないました。指揮は自分の描く音楽について、まずテンポやリズムを示し、音の大小、緊張や安堵などの感情を伝える必要があります。楽器を演奏する場合は細かい指の動きや腹式呼吸が大切ですが、指揮はテンポやリズムの上に曲想を伝え描かねばなりません。

 本日は午後からホームコンサートでお客様にお出でいただきピアノを弾きます。演奏曲目は6曲です。演奏してる瞬間、曲想によって腕や指の関節をの伸ばし指の腹で弾いたり、指を立てて弾いたり、鍵盤の手前で弾いたり奥で弾いたり、前かがみで弾いたりして曲想に適した方法を選びます。

 ピアノ独奏は伴奏者や他の仲間の手助けがなく、一人で終わりまで弾かなければなりません。まな板の鯉です。ちょっとした心の動揺も演奏に出でしまいます。作曲家の指示通りに弾くことは基本で、その上に自分の感覚によるテンポやダイナミクス(大小)に乗って良い音色を作り出します。

 ピアノの音自身を聴いていただくのも目的の一つです。でも本当のところは作曲家や弾き手の喜怒哀楽という感情を鑑賞者に伝えたいのです。いかにも幸せそうに、あるいはこの上なく悲しそうにということです。この感情が伴なわないとタイプを打ってるようで無味乾燥になったり、本を棒読みしてるようになりやすいと思います。

 本日のプログラムは以前に演奏した曲ですので、指は比較的慣れてますが、同じ演奏は2度とないので、今までより気持ちを入れ良い音色をめざしたいです。プログラムは掲示板に示してあります。

【写真は指揮をした懐かしい群馬音楽センター、及びヤマハC7ピアノ】

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2007年3月10日 (土)

心から好きであってこそ

Dscf0413 Dscf0329 Dscf0331  本日午後2時から私の家に見える方々にピアノを聴いていただくことになってます。ホームコンサートです。

 私は今までに人にピアノを教えたことはありません。実を言うと「教える時間を自らの練習に回し、もっとよく弾けるようになりたい」というのが本音です。

 新たな曲に挑戦するには1曲であっても3ヶ月から半年くらいは必要です。難しい曲に出会うと自分にとって演奏不可能ではないかと弱気になることもしばしばです。それでも今の実力の110パーセントくらい上の曲ならどうにか手が届き、レパートリーが増えて楽しみです。きっと今までになかった自分になるからでしょう。

 ピアノの良さの一つは曲数が無限にあることです。その中から心境や好みにあった曲に出会えると一所懸命に練習してしまいます。弾いていてどうも合わない曲もあります。結局、そのような曲はレパートリーから外れます。

 私にとって選曲の基準は「その曲が心から好き」というのが大切ですから、他を犠牲にしてでも時間を割いて練習し、早く弾けるようになりたい一心になります。練習曲は別として心が動かない曲を弾くのは時間がもったいなくなります。

 もしかして、このことは恋人と共通することではないでしょうか。「心から好きであってこそ」ということは音楽にとっても一番大切なことで生き甲斐につながると思っています。

 今日は、腕の重さを十分感じ、良いタッチの音になるよう心してみます。

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2007年2月19日 (月)

ホームコンサート

Dscf0306_1 Dscf0307_1 Dscf0309 暖冬と言えども寒くて指がかじかんで練習不足です。今日は二十四節季の雨水です。庭の梅も咲いてようやく春の気配です。それでも、まだまだ「春は名のみの風の寒さや」ですね。

 暫くぶりにホームコンサートを開くことにしました。これからの練習の目標になります。お聴きしたい方と楽しみ、私としては心の入った音作りに挑みます。

 17才からピアノを始めましたので、一般的に考えると遅いですが、Better late than never.と思っています。今の力の10%上の曲を視野に入れ、今後も新たな曲を弾いてみたいです。

 特にショパンの「ノクターン遺作」及び「ノクターン1番」は私の定番です。今の心境に結びつけ寂しさを表現できたらと思います。

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2007年2月11日 (日)

人類の文化遺産・・・・音階

Dscf0260 長いこと音楽の仕事に携わってきました。歌を歌ったり、ソプラノサキソフォーンを吹いたり、吹奏楽や合唱の指揮をしたり、カラオケを歌ったり、ピアノを弾いたりする演奏の他、鑑賞としてたくさんのシンフォニーを聴いたり、ポプュラー音楽も聴いてきました。

 音楽の魅力は一言ではいえないほど気高いですが、この間、不思議に思っていることがあります。

 私たちは普段それを気にせず、あるいは気づかないで音楽を楽しんでます。それは古代ギリシャ時代に遡る先人たちが作り出した遺産を享受してるという事実です。

 その遺産とは、ドレミファソラシドの音階の中で【ミ・ファ】、及び【シ・ド】の間が半音に作られてることです。あまりにも自然に作られてるので聴いてもちょっと気がつきません。音楽のジャンルに関係なく、私たちが楽しんでる音楽は九分九厘そうです。琉球音階を含む日本音楽が5音音階であって2音が省かれても【ミ・ファ】、及び【シ・ド】の間が半音になってます。知れ渡ってる世界の民謡や世界各国の国歌を調べても【ミ・ファ】、及び【シ・ド】が半音です。

 普段、これを気にしなくても、また知らなくても、現実には【先人の発明したこの偉大な音階】に則っていという事実です。

 どれほど多くの方々が音楽を聴いて感銘したり、楽しんだり、悲しいとき慰められていることでしょう。素晴らしい音楽に接すると、私たちは演奏してる人やその作曲家の功績を讃えますが、同時に、その作曲家が使用してる音階が遥か大昔の先人の手によって作り出されていることを忘れないでいたい。

 ※写真は【ミ・ファ】【シ・ド】の間に黒鍵がなく人類の遺産を証明してる現在のピアノ

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2007年2月 8日 (木)

観客でただ一人の日本人

Dscf0240 Dscf0245 Dscf0244 私の最初の赴任はインド・カルカッタ日本人学校です。渡印は4月初めで日本ではまだまだ寒かったです。しかし、現地はすでに真夏で夏休みが目前で、この時期の温度は午前11時で42度ありました。

 このような暑い日々は植物園に行って涼しい日陰で過ごしたり、プールで泳いだりベンガル湾で海水浴しました。

 2年間のインド滞在中、職務の他に何か新しいことを学びたいと思っていました。インド音楽に接したり、見るもの聞くもの何でも目新しいことばかりでした。

 私は学生時代、指揮法を学んでいた関係で、世界的インド人指揮者ツービンメーターさんもおられることから、カルカッタで指揮を学ぶ機会はないかと内心考えていました。Where there is a will, there is a way.「精神一倒何事か成らざらん」チャンスはやってきました。

 インドでは9月から2月までの半年間は素晴らしい気候が続きます。暑くも寒くもなく毎日良く晴れわたります。この時期にカルカッタ交響楽団の定期演奏会があり、私は毎回聴きに行きました。常に一列目で聴いていましたので楽団員の方々にも「一人の日本人がいつも来てる」と知られてしまい、コンサートマスターの方はステージの上から私に会釈を送ってくれるようになりました。

 ところで、この交響楽団はイギリスの影響でしょうか、古い歴史を持ってます。私の滞在中はユダヤ人指揮者Bernard Jacobさんが常任でした。毎回の演奏に感銘を受け、聴きに行ってるうちに私は彼の弟子になりたいと心が動き出し、ついに日曜日にお宅を訪問し、学生時代に指揮を専攻してたことやカルカッタ交響楽団の定期演奏会を毎回聴かせていただいてることを玄関から出て来られた奥様に告げたところ、何とその日にヤコブさんに対面できました。

 彼はオクスフォード大学ご出身です。いつも演奏を拝聴しているお礼を述べ、ぜひ指揮を教わりたいとお願いしましたところ、一つ返事でのOKはありませんでした。しかし、卒業演奏会で指揮したことのある「モーツアルトの魔笛序曲」の振り方を見ていただきましたらGood, Goodと仰ってくださり、次回はシューベルトの未完成がレッスンの曲と決まり、念願が叶い、ついに彼の弟子にさせていただけました。

【写真左からプログラムの表紙、ヤコブさんのプロフィール、私が撮影したヤコブさん】

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2007年2月 2日 (金)

忘れられない我が師

Dscf0211 昔のことです。高校入試発表の日、合格の喜びのまま音楽室に行きました。その時の先生との出会いが私の生涯を変えることになりました。その日に先生はトロンボーンを渡してくれました。

 春休みに早速、先輩達に混ざって練習に参加、入学式では新入生であるのに式典音楽の演奏に加わることになりました。この先生には平素の練習時はもちろん、草津温泉での合宿で多面にわたり教育され、音楽と同時に礼儀作法を厳しく躾けられました。就職後、恥ずかしくないよう社会人としての基本を身につけさせて下さったのでしょう。その頃、私はサックスに変わりました。

 経済的理由でずっと就職希望でしたが、2年生になってから先生は音楽専攻として大学へ行けと、かなりしつこく言うようになりました。私はそのつもりがなくだんだん心配になり、両親にも先生の話しをしましたが、両親もそのようには考えていませんでした。

 ある夏の晩、先生は私の家に来られ、両親にも私の進学を勧めました。いつものようにかなりしつこいです。就職の勉強しててピアノのピの字もない私に果たして弾けるようになるか小さな胸は不安でした。

 結局、17歳でバイエルの初歩から始め、それを3ヶ月で終了し、次の段階であるチェルニー30番とソナチネに進みました。土日には先生宅で聴音も指導してくださり、いつの間にか受験準備が軌道に乗ってしまいました。

 先生との出会いがなければ、後のインド日本人学校教員や高校音楽教員としての人生は決してありえませんでした。

 先生との関わりでの喜びは長い期間、互いに高校教員としてともに働けたことです。中でも圧巻は先生が高高におられ私が前高にいたとき、前高高高定期戦で対戦したことで、これは師弟冥利につきました。私が高校生の時、遠い将来このようになるとは夢にも思っていませんでしたから。

 私の人生を変えてくださった我が師、Hatoken先生は3年前に亡くなりました。【合掌】 

【写真は先生のお陰で今でも弾いてるピアノ】                                       

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2007年1月23日 (火)

ある愛の詩

Dscf0172_1 自己表現の一つにソプラノサックスを吹きます。今まではアルトサックス中心で3本ほど買い換えましたが、最後に落着いたのは写真のようにセルマー金メッキソプラノです。メッキの分に重いですからストラップで吊るして吹きます。

 私は男性の声域のため、心の底では対照的な高音域での表現に魅力を感じていたのです。ご存知のようにこの楽器は歴史的に新しく、音色や表現に幅があります。人の声にも近いように感じます。効果的なビブラートが伴なえば聴き手を魅了する楽器と思っています。

 結婚式に招待されますと、職業柄、スピーチを依頼されることが多いです。そのときこそ、このソプラノサキソフォーンの出番で、スピーチは短めにして「愛の賛歌」「悲しき天使」「ゴッドファーザー愛のテーマ」「シバの女王」「いい日旅立ち」「ある愛の詩」などマイクを通して吹きますと音がよく透ります。

 結婚式からしばらく経過して「スピーチの内容は忘れても、演奏した音楽は覚えていてくれるものです。」

 

 

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2007年1月21日 (日)

発信型でいきたい

Dscf0055 ピアノを始めたのは比較的遅く高校二年です。家にピアノもオルガンもありませんでしたので、学校で練習しました。本来ならば中学生の頃から始めれば良かったのでしょうけれど、その時はバスケットボールに明け暮れました。

 今まで最も回数多く弾いた曲は「ショパンのノクターン第1番」でしょう。どう言う訳かメロディーが私の気持ちにしっくりくるのです。第2番は余りにも有名ですが、断然、この第1番に惹かれます。初めはこんな模様のような音符の曲が果たして弾けるかと弱気になりました。左手と右手がきちんと合わない楽譜で、左右別々に弾き進み集合地点で合わせるのです。左手の動きはオクターブ以内に留まらず、中指をコンパスの針のようにしてハープの音のようなオクターブを越えた広い分散和音になってます。これはショパン独特の伴奏の動きで、指で弾くというより左の腕を柔軟に動かすものです。しかも、調性は変ロ短調でフラットが5個もついてます。でも人間とは不思議なもので慣れると黒鍵が多くてもその動きに身体も覚えんですね。まだ、余りお聴きになってない方には、ぜひお薦めの1曲です。

 今までこの曲は自分の結婚披露宴や父の告別式などで弾きました。現在、自宅で行ってる演奏会では定番曲となってます。何回弾いても飽きがこないのは、まるで、乗れば乗るほど味の出るいすず117クーペのようか。おっと車に行っちゃった。

 これからもピアノを媒介にして私の喜怒哀楽を表現したり、大作曲家の音楽の一端に触れてみたい。

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2007年1月14日 (日)

ピアノの練習

Dscf0161  私はレース鳩を飼育している一方、17歳からピアノを始めました。ピアノは感情と身体が結びつくので、姿勢をよくして弾けば健康にもいいと思っています。現在、練習してる曲はテンペスト1楽章、ノクターン1番、遺作ノクターン、スペインの歌などです。

 時々、土曜日の午後にはお聴きしたい方にはボランティアで演奏しています。今年も新たな曲に挑戦したいと思います。アンコールがあれば映画音楽などポピュラーも弾いてます。

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