百名山を登攀した倉賀野の登山家・・大井さん逝く
【角落山山頂から見た浅間山】・・・Enlarge please!
倉賀野町のアルピニスト大井さんが亡くなりました。近所に住む私としては群馬県内外の山々へご同行頂いたというより、連れてっていただきました。絶景の山頂での語らいは数々の思い出があります。
中でも、印象に残るのは正月登山として登った赤城山系・長七郎山、十二ヶ岳、物見岩、浅間隠山など、山頂から眺めた新春の山々は厳寒にして静寂の中にあり、何万年と変わらぬ広大な景色を眺めつつ戴いたお屠蘇の味と楽しい語らいは忘れられません。
昨秋には彼ご夫妻と私の3人で、予てから私の希望であった角落山に連れてっていただき、生涯忘れぬ難関な登山コースに命の危険を感じるほどスリルを体験し、山頂を極めた達成感に浸ることができました。未だ四ヶ月前のことです。
角落山は健脚向き山岳コースであることから、事前にそれが分かっていれば素人の私は彼にお願いしなかったでしょう。「知らぬが仏」と適切なご指導により結果的に私の登山人生で、険しさにおいて歴史的な体験になりました。
以前に写真の浅間隠山へも正月登山として連れてっていただき、山頂からは四方の眺望が素晴らしく、いわゆるパノラマの光景が体験できました。その浅間隠山を昨秋は角落山山頂から眺めることができ、強い意志と身体的努力によって大自然が身近になることを教わりました。
実は、彼は「日本百名山」をすべて登られた数少ない登山家です。おそらく我が倉賀野町には他にいないかもしれません。この話を聞いた時、私は記念に達磨をお贈りました。達磨には「百名山登頂達成」の文字を入れ、偉大な意志と体力を称賛しました。同時に、少しでも彼の足もとに近づきたいと思いました。
一方、彼は第一の人生をJRで活躍され、第二の人生は庭師として喜びを見出し、登山で知り得た樹木の自然の姿を手本とし、多くの庭の植林や剪定に打ち込みました。
また、絵描きとして数々の作品が残され、それは今なお輝き、その魂は残された人たちへ永遠に伝えられていくでしょう。
彼は昨日、79才という若さで旅立たれ、ご本人はどれほど無念であったことか計りしれません。彼から教えを受けた厳しい自然に対する心構え、楽しい交流法は私の脳裏にしっかり刻まれてます。
ご冥福を祈ると共に、生前にお教えいただいた温厚な生き方を、今後の生活の中に生かしていきたいです。
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