新春にネパール女性と懐かしいヒンズー語で話す
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天候も穏やかであった昨日の午前10時過ぎから、倉賀野町の自宅を出発し、目的地は高崎~藤岡間に架かる新鏑川橋の藤岡側まで往復ウォーキングです。今回は往き帰り異なるルートを周遊したのでその距離は9キロ以上と推定します。途中、休憩なしのウォーキングで家に戻った時刻は12時40分。2時間半歩き通しでした。
まず、倉渕の鼻曲山付近の烏の口を源流とする一級河川・烏川を渡り、阿久津側の土手を東に進み、およそ1Kの土手の上では、時々健康のために歩く人たちに出会います。殆どはご夫婦のようで私のように一人寂しく歩くものは稀です。しかし、新春の空気を一杯胸に吸いつつ、前進すると健康で生きてる実感が脳で感じます。
人間とは見かけの環境も大切でも、その人の「未来が希望や夢で満ち溢れているかどうかである」と自らに言い聞かせ、遠方の景色を眺めつつ腕も前後に振って前進です。
やがて上の写真の所で土手は大きくカーブし、いよいよ上越新幹線のガード下を目指します。やはり、ご夫妻と想われる二人でのウォーキングに何組か出会います。
子供が仕上がった段階の高齢者にとって最も大切な要素は「夫婦の仲の良さ」であることを改めて感じつつ、途中、左手に10個ほどの養蜂箱を見ながら、蜂蜜を採るのも楽しいだろうと見てるうちに、目の前の高架橋に新幹線が上り下りとも猛スピードで行き交う様が目に入り、令和3年が開始したことを実感です。
江戸時代に遠い私の先祖が建立したと伝えられる「長命稲荷」に初詣として手を合わせ、昨年一年間が健康に過ごせたことに感謝。併せて今年は自らの目標に厳しく生きることを誓いました。特にお願いはせず、誓いのみにしました。幸せとは与えられるものでないと思うからです。
いよいよ土手を下りると荒船山付近を源流とする鏑川の川岸に着きました。予想した通り、シベリアあるいはカムチャッカ半島から飛来したと想われる白鳥たちが15羽ほど羽を休めてます。その光景は如何にも平和な姿で、身体が大きいからでしょう。鳴き声は意外と低く太いです。
この中には昨年の春から夏にかけロシアで生まれた子供たちも親鳥と共に飛来してると考えられ、古来より繰り返されてる渡り鳥としての習性と、海を渡って3000Kを越す長距離飛翔力に驚かされます。それにしても人に慣れてて近くまで寄って来ます。これから暫くここ高崎市木部町で体力を養い、3月中旬には故郷シベリア大陸へ帰ります。日本とロシア間の渡りを平和の使者として今後も繰り返すこと考えるとき、人間には75年経過しても解決できない両国の懸案を思わずにはいられません。
その後はウォーキングの目的地・新鏑川橋を渡り始めると意外と交通量が少なく、長閑でも誠に巨大な橋で長さ431mです。幅広い歩道を歩きつつ振り返ると榛名山頂上付近は雪雲に覆われてます。現在は一年で最も寒冷な季節です。このように群馬県は北西側と南東側で気候が全く違います。これは日本海側と太平洋側の違いが同じ県の中で起きてる現象です。北西は大雪でも、こちらはよく晴れてます。
橋の途中には、温度差によってできる橋の伸び縮みを調整する器機が備わっており、今回はかなり隙間ができてます。以前に秋に見たときはもっと狭かったです。この設備により力学的に橋に無理な力が加わらないようにしているのでしょう。橋が長い故、コンクリートや橋桁、アスファルトも寒暖によって膨張したり、現在のように寒冷では縮むことが目で見て分かります。
目的地の藤岡側に着いてUターンです。雪雲の榛名山を見つつ、帰路は道順を変え、木部町の中を歩くコースを選びました。昔は村でしたが、今では、おとぎの国を思わせる近代的な家屋があることに驚きます。車で通過してるだけでは気づきません。地区や建物は時代と共に変遷です。歩いてみると母の生まれ故郷・木部町には私が初めて見る光景もあり、幼き日の母はこの辺りで遊んだり、通学したのだろうと思いを巡らしました。
今回のウォーキングは、やはりちょっと距離が有り過ぎで足が疲れ気味です。しかし、来たからには帰らねばなりません。これが往復ウォーキングの辛いとこ。しかし、人生と同様、楽あれば苦あり、苦あれば楽ありです。
何と前から黄色い姿の比較的大きな女性がこちらに向かって来るではありませんか。挨拶を交わそうと思った瞬間、外国人であることが分かり、私はすぐに英語で「どちらの国の方ですか。」と尋ねたら「ネパールです。」とのことで、咄嗟に、その後の私は口から昔取った杵柄でしょう。ヒンズー語に変わりました。ネパールの母語はネパール語であっても、インドとネパールは隣り通しで、似てる言語です。
ハムジャイガーカトマンドゥ(私はカトマンズに行ったことがあります。)と話したら、彼女は目を丸くしていろいろ訊いてきました。そしたら同じ倉賀野に住んでることが互いに分かり、父母はネパールに居り、東京の大学を出て、今こちらで働いているとのこと。ハムコリカタメドーサールハイ(私はカルカッタに2年間居ました。)と近くに住んでたことも話したら終始にこやかな表情と、丁寧な対応され、何だか私は癒されました。それにしても、外国人女性が自然の中を1人でウォーキングしてる姿は美しく頼もしくも感じました。また、いつか会えるでしょうと互いに手を振り、偶然の出会いと別れを惜しみました。
やはり、人間とはいろいろ行動することによってのみ、新たなことに出くわしたり、新たな人との出会いが生まれると感じます。今年は家から外に出て、いろいろ行動しようとする気持ちに彼女が背中を押してくれました。
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