「南極犬」とダブる「マリと小犬たちの物語」
一人暮らしの私の友は愛犬「コロ」です。裏庭に放し飼いなので走るのは速く元気そのものです。自由に走れる犬本来のあるべき姿を保ってあげてます。写真は気分転換のため表の庭の木に繋いでやりました。
先日、話題の映画「マリと小犬たちの物語」を観て、これでもか、これでもかと涙が出てしまい、脱水症状気味になって、結局、高崎駅前「どんどん」でアルコールによる水分補給をせざるを得ませんでした。(こらっ!カッキーまた行ったのか、と聞えてきそうです。)
平成16年10月23日はホームコンサートによる私のピアノリサイタルの日、すべて演奏が終わり、お客様が帰り始めた瞬間、近年では経験したことのない恐ろしい揺れが群馬にも襲いました。
この地震は新潟県の山古志村(現・長岡市)が特に甚大な被害に見舞われ、その後、次から次へと起こる余震が危険なため、ヘリコプターによる全村民避難となりました。このとき日本犬が置き去りにされ、この映画は実話に基づく物語といわれます。
犬の主人公「マリ」が、救助に来た自衛隊員に家の下敷きになった家族の場所まで走って誘導するシーン、また、避難者たちを運ぶヘリコプターに猛スピードで下から追跡する「マリ」の姿と、機上からそれを見る飼い主の女の子「彩」がマリーマリーと叫び続け、悲運にも愛犬と離れ離れにされる姿が圧巻です。一刻を争う避難の時、動物はいつも置き去りにされてしまいます。
この瞬間を見て、マイナス40度という厳寒の南極昭和基地に置き去りになった樺太犬のことが頭を過ぎりました。雪山賛歌の作詞者として有名な西堀栄三郎第一次南極越冬隊長一行から第二次越冬隊に引き継ぐ時、猛烈な悪天候で第二次越冬隊は越冬を断念せざるを得なくなり、それどころか、第一次越冬隊員の引揚げさえも危うくなり、やっとのことで昭和基地からヘリコプターで厚い氷に閉ざされた南極観測船「宗谷」まで脱出したのです。
南極海で待ち受ける「助け船」ソ連の砕氷船「オビ号」に誘導される「宗谷」。このままでは「宗谷」はもちろん「オビ号」まで氷に閉ざされ身動きできなくなるという猶予のない悪条件では、隊員の脱出と生命が第一となり、15頭の犬の救出まで手が回らなかったのでしょう。
このときの【犬係の隊員の精神的苦痛はどれほどであったか計り知れません。】同時に置き去りにされた15頭の犬たちはどんな思いで人間を見たのでしょう。
一年後、昭和基地上空から2頭の犬が動いてることが確認され、15頭の犬のうちタロとジロが生存してたことが分かり、日本中が感動の渦に巻き込まれました。どのようにして厳寒と餓えを凌いでいたのでしょう。
映画「マリと小犬たちの物語」では避難生活から暫らくして一時帰宅が許され、家の周囲でマリーマリーと叫ぶ彩の姿、しかし、なかなか犬の姿は見当たりません。そしてついにマリと再会でき抱きしめるのです。ここで観客はまたもや涙涙でした。
一方、この映画の中では、大自然を自由に走る犬という犬本来の姿があり幸せな犬たちだとも感じました。現在、飼育されてる犬の99パーセント以上が檻の中か鎖に繋がれ一生を終えるからです。飼育されてる動物で動物本来の自由があるのはネコとレース鳩だけでしょう。犬の場合、飼い主が工夫し自由を満喫させてあげたいものです。
動物との再会ではプロフィールに書きましたように、私の家で生まれた鳩がどうしたことか内モンゴルまで飛んで行ったことがあり、再会しに行ったことがあります。鳩を手に持ち、口笛を吹きましたら懐かしそうな表情でじっと私の顔を見ていました。何でこんな遠くまで飛んで来たのかと私は心で訊きました。「中日友好号」と名づけられたこの鳩の子孫は北京で活躍したと伝えられています。【写真は現地で撮影されたものです。左の足輪に私の住所氏名が刻まれています。】












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