カテゴリー「教育」の7件の記事

2007年12月14日 (金)

音楽教育で鍛えてほしいこと

Dscf0311  写真は高崎観音山の頂上にある「躍進」の像です。青年時代においては脳を鍛え、身体を鍛え、そして人格の陶冶が3本柱として重点とされ、これらは学校では教科の勉強と多くは部活動を通してバランスを取ってると考えられます。 

 勉学やスポーツの成績に秀でていても、最後の柱がお座成りになると、積み重ねてきた努力や周囲の期待まで一瞬にして水の泡になることは枚挙にいとまがありません。

 小学生のうちから良い刺激をたくさん与えて小さな時から「考える習慣」を伸ばしてやりたいものです。そして、一人で何でも出来るように生きる力や、自らと人を大切にする気持ちを育んでほしいものです。小さい時から潜在してる可能性をしっかり引き出してやることこそ大人の役目でしょう。

 「教育する」ことは英語でeducateですが、語源はラテン語で「その人の持ってる能力を導き出す」という意味といわれます。教えるというより本来は「引き出す」ということらしいです。

 このような点から、私が学校の音楽の時間で徹底して行なってほしいものに「発声法」があります。人は顔が一人ひとり違うように、声もその人だけの極めて個性的なものです。顔を見なくても誰が話してるか分かります。

Dscf0312  折角、一人ひとり無垢な声が潜んでいるのに、発声の教育がお座成りになると、その特徴ある声が上手く響かず、生涯の損失です。大人になっても声の質に無頓着な人は意外と多いものです。これは音楽の時間に発声法を徹底して教えてない場合があるかもしれません。正しい発声法ができれば歌はもちろん、日々話す声も清々しく、聴いただけでも惹きつけられ、人間的魅力にも一役買うでしょう。

 一方、「声は健康のバロメーター」とはよく耳にする言葉です。はつらつとした声こそ精神も肉体も健全である証拠に思います。マイクなしでも良く通る声を目指し、ものを鍛えるに遅いことはない筈ですから、今からでもよく響く声に鍛えたいものです。

 僧侶の読経には極めて芸術的な響きがする方をお見かけし、感銘を受けることがあります。若いときから徹底した修行によるものと思われます。

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2007年8月26日 (日)

子供の脳を刺激

Dscf0806  少子化に伴ない親はどうしても子供に大きな期待をかけてしまいがちです。確かに子供の脳は才能の宝庫であると思います。「難しいといわれる日本語をなぜ3~4才で話せるようになるのでしょう。」ここに早期教育のヒントがあるように思います。外国人にとって難しい「日本語の抑揚」を正しく操るのですから素晴らしい耳を持ってるのです。

 子供たちが日本語を習った方法で私たちも英語を学習したら今頃はぺらぺらになってるでしょう。しかし、何十年しても話せないのは、子供の方法と私たちが英語を習う方法が違うからと思われます。少しでも子供の方法に近づきたいものです。

Dscf0958  特に、音楽や絵画、英語などは感性に関係する分野なので、子供が特別な興味を示した場合、「親は決してそれを見逃さない」で、学校の公教育とは別に勉強させるべきでしょう。この時こそ才能が大きく開花するチャンスと思います。分野については上記の3つに限ったことではありません。親はあまり教える必要はなく、というより、本来、教えられるものではないし、やたら教えないほうがいい場合もあると思います。

Dscf0968  親が出来るのは教えることより種を蒔くことではないでしょうか。種とはいい環境作りこそ第一と思います。これは「子供がいい刺激を受ける環境」ということになります。展覧会や音楽会などに連れて行き、本物を見せ、本物を聴かせ、本物に触れさせてやりたいものです。また、親は評価をしっかりすべきで、特に、よく出来た時は十分褒めてやりたいものです。

Dscf0975  小さい時にピアノを習わせ発表会に出演する程になっても、受験が迫ってくると9割くらいは良い学校へとやめさてしまいがちです。そのピアノを「いらなくなったピアノ」と称して売られてゆく姿は私は非常に間違ってると思います。人生を豊かにするためのピアノであった筈なのに、これからの人生の幅をわざわざ狭くしてしまいます。新聞やテレビでこの広告を見るたびに、折角、子供の夢を育てるために購入したのに、どうしたことだろうと私は切なくなります。

 私の家の近くには、若くして夭折した画家「かまち」の家があります。お父さん、お母さんとも私はよく存じ上げてます。かまちの才能の素晴らしさの一つは「絵画の作品量が莫大なのです。」幼少のときからの作品をご両親がずっと保管してたことは、親として彼の非凡な才能を見逃さなかったからでしょう。

 未来ある子供にはいろんな所へ連れて行き、本物を聴かせたり、本物を見せたり良い刺激をたくさん与え、脳の芽を伸ばしてやれるのは、親こそできることと思っています。

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2007年8月 7日 (火)

新たな挑戦に遅いことはない

Dscf0930  多くの鳩友の鳩舎では雛の誕生は終わり、種は分離に入ってます。今春生まれた雛はすでに本格的な舎外運動や近距離訓練に入ってる時期です。連合会訓練は今月末に始ります。

 私の鳩舎では2番仔の馴致がやっと始ったところです。馴れるまでは見ていないと下に落ちて猫に獲られます。今朝5時から展望台の上の蓋を開けてやり、鳩自らが外に出られるようにしました。8割くらいの雛は鳩舎の屋根に止まったり、家の大屋根へ行ったり、初めから空を飛ぶのもいました。遅い誕生であっても、来春のレースには十分挑戦できるでしょう。

 ところで、私たち人間は今まで行なったことのない新しい分野に首を突っ込んでの挑戦はなかなかしにくいものです。それは初めから食わず嫌いであったり、若い人の方が進んでいたりするので、つい引いてしまいがちになります。

 一つのことだけに集中して深く掘り下げるのも充実ですし、あるいは窓口を広げ、いろんなことに喜びを見つけるのも幅が出ていいと思います。この場合、どれも物にならないことも起こるでしょうが、ある点まで到達すれば結構楽しめるものもあるのではないでしょうか。

Dscf0932  私については何事も始めるのが遅かったです。元来、性格的におくてなのです。鳩レースは29才、ピアノは17才、ギターは34才、中国語は42才、本格的水泳は25才からで、これは日本赤十字社の水難救助員の資格に挑戦しパスしたことがありますが、最近はあまり泳いでません。スキーは35才からでした。白根山から振り子沢を通って草津の町まで滑り降りた楽しさは忘れられません。どれも真似ごとの範囲ですが、それでも十分に楽しいものです。このうち他より一段上で楽しめるものは鳩レースとピアノでしょう。でも時にスランプに入ります。

  鳩のお陰で内モンゴルへ行き交流できたり、英国ピクトリアル誌に掲載されました。ピアノは今でも時々ホームコンサートを開き、皆さんに聴いていただいてます。

 一般的に60の手習いなどといいますから、何才になっても、人間生きてゆく限り、新たな「夢と好奇心」を持ち続けねばならないと思います。私は今、一つの夢を持ってます。

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2007年6月 9日 (土)

若かった高崎商業教諭時代

Dscf0110  34才から45才まで11年間勤務していた高崎商業にはたくさんの思い出があります。著名な相馬御風作詞、弘田龍太郎作曲による素晴らしい校歌が歌い継がれてます。この校歌はこれからも変わることはないでしょう。文豪・吉野秀雄を生み、前高崎市長さんや現高崎市長さんの母校でもあり、地元では高商と呼ばれ100年以上にわたり歴史を刻んでいます。写真は私が吹奏楽部顧問として青年教師真っ只中の34才のとき上毛新聞に掲載されたものです。見たところでは今とあまり変わりがありませんね。

 吹奏楽部の練習は毎日で始業前の朝練に始まり、放課後は7時頃まで。毎年11月頃行なわれる群馬音楽センターでの定期演奏会は3年生にとって部の卒業式のようなもの、日頃の練習を余すところなく発揮しステージでは教師も生徒も完全燃焼でした。私も時々2000人の聴衆の前で3年生一人ひとりを紹介し、労をねぎらった思い出があります。特に演奏会終了後の宿泊施設での慰労会では全員が宿泊して夜中までレクレーションです。応援曲の「ハリス」をみんなで歌い、踊ったことは一体感が生まれ深く脳裏に焼きついてます。S井君は私の指揮の真似が実にうまくて楽しい部長でした。現在では県内で著名な書家です。

 部活の楽しい目玉は夏季・冬季合宿。新潟の苗場下山山荘や子持青年の家、妙義少年自然の家、小諸青年の家、御荷鉾高原荘などです。また、高校野球の応援で大阪へは4回行きました。

 定期演奏会では毎回、指揮者として平均15曲くらいは棒を振り、思い出の曲はたくさんありすぎて書ききれません。中でもショスタコービッチの交響曲第5番「革命」第4楽章、チャイコフスキーの「スラブ行進曲」「1812年序曲」、ムソルグスキーの「展覧会の絵」、ドボルザークの「新世界交響曲第4楽章」、ハチャトーリアンの「スパルタクス」や「剣の舞」、モーツアルトの「フィガロの結婚序曲」、スッペの「詩人と農夫」、ビゼーの「アルルの女からファランドール」、レスピーギの「アッピア街道の松」などの名曲を演奏できたことは心から幸せでした。いつまでも忘れません。この他にもジプシー王女やアルメニアンダンスなどたくさんの吹奏楽オリジナル、その他、その時代時代に流行したポピュラー音楽の演奏です。

 また、吹奏楽といえば行進曲ですから、国民の象徴、美中の美、ハイスクールカデンツ、祝典行進曲、星条旗よ永遠なれ、旧友、ボゲー大佐、軍艦マーチ、ワシントンポストなどの名曲は指揮していて本当に楽しかったです。

 教師として仕事に慣れてきた30代40代に高商でこのような部活の顧問となり、当時の部員たちと音楽を通して交流できたことは私の喜びでした。彼らは今では35才から46才くらいになってます。丁度、私が高商に勤務していた年齢になってるのですね。たまには高崎駅前「どんどん」でいっしょに飲み、往時を振り返ったり近況を拝聴したいものです。

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2007年4月30日 (月)

青年教師と子持山

Dscf0654_1 昨日の子持山登山は25年ぶりです。高崎商業に勤務してた時、近くの北毛青年の家で吹奏楽部の冬休みの合宿があり、40人ほどの部員と気分転換にレクリエーションとして山頂まで登った山でもあります。四半世紀前ともなると私も純真な(?)青年教師でしたので、また責任感があったのでしょうか、疲れたというような記憶はありません。

 その生徒さんたちもすでに40才代、社会の各分野で活躍してます。ときどき近況報告と称して一杯やることがあり、こんな時「ずいぶん頼もしい人たちになったものだ」と男性も女性もつくづくその立派さに驚かされます。

 彼らの高校時代の思い出は吹奏楽部での活動がそのほとんどを占めているようです。高崎市群馬音楽センターにお客さん2000人に入場していただいての定期演奏会はいつも盛況、部員たちにとっては部活の集大成として達成できた満足感、その晩の慰労会は若いせいもあって、合宿場で跳んだりはねたり大騒ぎ、顧問教師も一仕事すんだ開放感か大分リラックスし部員と心は一つ。儀式では部活をやりぬいた3年生を褒め称えたりして、時には涙あり。この時ばかりはめずらしく真面目な教師らしい一面もあったようです。

 これらはすべて昭和時代のこと、月日は遠い夢のように過ぎ去りましたが、今回、子持山に登頂したのが偶然にも昭和の日。子持山近くの北毛青年の家で行なった毎年の合宿は昨日のようにはっきり覚えおり、私にとっても歴史として心に残ってます。

 Dscf0657 ところで、子持山登山中に思いました。登山はもちろん、平素あちこち歩いても、歩くということには大きな利点があるように思えてなりません。身体を鍛える点ではジョギングやマラソンなどを頑張ることは効果があるでしょう。しかし、心に余裕が生まれるかはどうかは難しいことのように感じます。

 この点、歩くことは特に頭脳にいいと思われてならないのです。歩いてると頭の中では次から次へといろいろのことが浮かび上がるものです。多分、これは「血流のスピードが丁度良くなり」脳へ酸素がたくさん運ばれるからでしょう。

 血液の流れを見ることはできませんが、これがいかに大切であるか忘れずにいたいものです。これからもいろいろ工夫して脳を鍛え、立派になった生徒さんたちといつまでも交流したい。

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2007年3月28日 (水)

自由な発想の開花

Dscf0483_1 Dscf0486_1 Dscf0492_1 あまり大きなことは言えないが、教育においては画一的、記憶優先型では個人の才能は伸びにくくなると思っています。むしろ、「優れた個性」そして「自由な発想」がその後にすばらしい開花をもたらすように感じます。

 教育システムに乗って、あまりにもまじめで完全を期してやりすぎると100点は取れても、大きな物事が見えにくくなり、精神的に疲れきり、テストが終わるともう勉強は暫くいいとなってしまうかもしれません。常に集団行動的に一つの枠の中で「同一の答えを求めてやるのでは」平均的日本人をつくり、折角優れた才能や個性をもって生まれてきた人にまで思考発想の許容度を狭くさせてしまい、日本の宝である若い芽を潰しかねない。

 この思考の許容度を大きくすることこそ大切で、これには教える側に度量がなければなりません。教師は期待してる答えのみに満足せず、それ以上の「新たな発想が生じる」教え方に発展したい。それは思考回路の個性的人間を生み出し、児童生徒の脳の発達にとって無限の可能性に繋がると思います。

 以前に勤務していた上司の話を思い出しました。アジアで若者のフォーラムが開かれ、各国代表の学生が一同に会しました。討論においては台湾、韓国、中国、東南アジアの青年が闊達に活動し発言してる姿が目に焼きついたそうです。これに対し日本の青年は発想力に欠け、彼らと対等に向き合えずかなり差が生じていたとのことです。この様子を見て危惧を覚え、日本は将来アジアの中でも後塵に拝す予感がしたと述べています。

 英語能力一つとっても日常的にこなす東南アジアの青年にかなりの遅れをとっている。私も時々いろんな入試問題など見ますが、なぜこの括弧の中にはこの単語だけが正しいのかと疑問を持ったり、異なる言い回しでもいくらでも通じるのではないかと思うことが度々あります。

 誤りばかり正さないで文法なども完璧でなくてお構いなし、それよりもっと大切なことは「自由な発想を展開させることを教え続ける教育」こそが明日の輝く人間に育つのではないでしょうか。

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2007年3月17日 (土)

自己最高記録を車のナンバーに

Dscf0455  娘が二人います。今日は長女の誕生日です。この間、生まれたと思っていましたが、すでに横浜で仕事に携わりながら家庭を持ってます。月日の経つのは早いものです。高校時代には吹奏楽部に所属しテナーサキソフォーンを担当、部活に明け暮れていました。私はソプラノサキソフォーンを吹いてますので共通項か。

 次女は私と二人暮しです。朝食の時、一緒に過ごすだけで、夕食を共に摂ることはめったにありません。仕事はウェディングプランナーとして若いカップルの結婚式において、心に残る演出をお手伝いしています。土日や祝日は結婚式がありますので今朝も7時台に出勤です。帰宅は夜11時頃です。

 生涯を貫く仕事を選択するには「その仕事が向いてて適正があり、それが好き」ということが基本でしょう。「好きこそものの上手なれ」は、継続できる職業選択として重要な要素と思います。それにプラスして頑張れる気持ちは学生時代の部活により養われることが大であるようです。

 次女は高校時代、陸上競技部のキャプテンでハードルを専門としていました。4×100メートルのリレーでは3年のときアンカーとして県高校総体3位になりました。出場校が多い中、よく決勝まで残り入賞できました。そのときの光景は今でも鮮明に私の脳裏に焼きついてます。

 ハードルはジャンプと走力の連続で想像以上に労力を要し、ゴールまでたどり着くだけでも並大抵ではないとのことです。時々腰を痛め病院で治療しながら選手生活を続けました。これほど陸上競技に打ち込んだのですから、培った精神力を基礎として、これからは人生の荒波に力強く対処していってほしい。

 娘は高校時代のハードル自己最高記録を車のナンバーにしてあります。悔いなき青春時代のそのナンバーが毎日の出勤の弾みとなり、たとえ弱音が出そうになってもメモリード・アルカーサル結婚式場へ向います。

 写真は県高校総体3位になったときアンカーとしてホームストレッチを走り始める娘(右から6人目)

 

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