カテゴリー「母の思い出」の6件の記事

2016年12月15日 (木)

コハクチョー飛来地として「宮の森」を生かしたい

P1020073【高崎市木部町にある小じんまりした宮の森】

 私が週に2回ほどウォーキングしてる鏑川の土手の傍にひっそり佇む森があります。鬱蒼とした20本ほどの樹木はすべて檜であり、3本の桜と共にある「宮の森」です。土地の形は三角形です。
 
 不自然なこの土地の形は、戦争直後に土手が建設されるとき、土地の一部を提供し、現在の変則的な姿になったと想われます。
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 実はこの「宮」は私の遠い先祖が作ったと言い伝えられており、今でも私の親戚である木部町のM家がここを管理してます。私の母は木部のM家から大正時代に私の家に嫁に来たことから、この「宮」では子供の頃よく遊んだものだと生前に話してました。
 
 50年ほど前、人生でただ一度、私は今は亡き母をこの「宮」に連れてったことがあります。凄く懐かしそうにいろいろ話したたことが思い出されますが、当時、若さ故、関心のなかった私は、今思うと、もっとこの「宮」について詳しく訊いておけばよかったと後悔してます。
 
 ただ一つ、私が覚えてることは、幼かった母はこの近くまで母親に連れられて来て箒星を見たと言うことです。長い尾を引いて正に「箒の様であった」とその驚きを私に伝えてます。なるほど天体の歴史を紐解れば、それは1910年に現れたハレー彗星と時代が一致します。私の母が9才のときです。
 
 現在、この「宮」を管理してるM家では娘さんが元気に暮らしており、先日伺ったとき家の中に昔からのものが相当数、残されてることから、おそらく、この「宮」について建設当初の経緯に関する資料が残ってる可能性があります。娘さんがお父さんから聞いてることは「長命稲荷」であるということです。
P1000266 【改修以前の鳥居】
 
 石の祠が昔のまま残り、鳥居も100年以上の時代経過を物語るものでしたが、最近になって管理してる娘さんが、半永久的なステンレス製の赤い鳥居に替えました。将来のために自分の時代に修復したかった気持ちの表れでしょう。
P1020095【完成した立派な鳥居】
 
 この位置は周囲がすべて田んぼで広々した場所です。管理してる娘さんの話では公園として高崎市に買いとってもらいたい旨、当局に相談したら、公園としては面積が不足するとのことで、これからもM家で管理するとのことです。
 
 私も遠い先祖の子孫であることから、何か保存、維持に加わりたい気持ちがあります。人生が終わるまでには石の祠を入れる1坪ほどの木製の神社のような建物を作り、森の周囲には半永久的な垣根を作り、ベンチを置いて公園風の宮の森として未来の人々に休息を与える場所になればとの思いがあります。
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 実はこの近くを流れる鏑川にはシベリア、カムチャッカからと想われるコハクチョウが12月から3月頃まで飛来し、羽を休めてます。この習性はおそらく遠い昔に始まり、ここ「宮の森」はコハクチョウ見学者の休憩地として理想的な位置にあります。
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 3000K~4000K離れた地から飛来し、ここをサンクチャリーとして羽を休めることから、コハクチョウーは「日ロ間の平和の使い」であり、この生態は未来永劫、続くでしょう。
 
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 近くにある「宮の森」は今後、「日ロ友好の森」として、コハクチョー見学者の休憩所となり、その役割を担えば、存在意義はより大きくなると考えます。      
 

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2014年3月31日 (月)

今になって背中を押してくれた亡き母の言葉

P1040931_2【車庫の東側が三角形の土地でデッドスペース】

 この度、念願の地続きの土地を12坪ほど買うことができました。場所は車庫の東側の長い三角形の土地です。
 
 ここに50年間、木造平屋建てのアパート2棟が建ってましたが、昨年末に取り壊され更地になったことから、急遽、新たな展開になりました。以前から購入希望のあった私ですが、現在、一人暮らしであることから、その必要はないと諦めてました。
 
 しかし、通常の分譲である四角形でなく三角の土地をしてることから、先方にとっていわゆるデッドスペースでも私には都合がよく、それはこちらの土地も三角形なので、購入すれば長方形になるからです。このため、写真のように塀も斜めでしたが、念願が叶い、近未来は南北に真っすぐの塀にすることが可能になりました。
P1040929 【南北に対し斜めの焼きべスロックの塀】
 この土地は長い三角形であることから先方は使い難く、しかし、私には都合がいい形で、地続きの隣の土地が有効利用できそうです。
 
 実は亡き母が「昔から地続きの土地は借金してでも買うものといわれてる」と私に話したことを思い出しました。亡くなって25年経過した今になって母の言葉が、私の背中を押してくれたのです。
 
P1040940【ボケ・・・東洋錦】
 私はすでに現役でないので借金することはできません。12坪であることから本日どうにか支払いが済みました。正式に土地を購入したのは初めてです。七年前、官地の払下げで4坪ほど購入しましたが、払下げは格安でした。
 
 私は生前の母と45年間いっしょに住んでいたことから、今、思い出すと、いくつか人生のポイントを教えてもらいました。現在、植木に多量に使ってる水はポンプで汲み上げた井戸水です。いくら使ってもただで無尽蔵です。「井戸を潰してはならない」と言った母の言葉が今でも耳に残り、その通りと有難く感じてます。
P1040928 【開花した雪柳】
 父については19世紀生まれであっても、私が最初の就職でインドに行くとき賛成してくれ「これからの時代は外国で働くことが将来役に立つと、母は暑い国で、しかも治安が悪いと大反対しても、いざというとき、息子の将来を考えてくれた父は流石と感謝です。
 
 両親ともに、その立場から六人兄弟の末っ子である私と生活を共にしながら、しっかり見守ってくれたことが今になってひしひしと伝わってきます。「親孝行したいときに親は無し」ですが、その分、二人の娘の未来をしっかり応援できる父親でありたいと考えるようになったのです。
 

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2014年1月30日 (木)

「自分の歯でなければ美味しさが分からない」               ・・・・亡き母の教え・・・・

P1040513【蝋梅】

昭和最後のバレンタインデーに世を去り、26回目の命日がやってきます。チョコレートでなく命をプレゼントしてくれた母が生前、話した忘れられないいくつかの言葉が思い出されます。

  明治生まれで小学校のみを卒業し、食料の乏しい戦前戦後を通じ家族を養う労苦や、有事の際の体験から安全や健康に生きるための教訓は日々話していました。

 思い返すと、母は自分の健康より6人の子供の健康や安全に気を配っていたようです。自身は肩が凝ったり、頭痛がしたりで、小中高校生であった私によく「揉んでおくれ」と言いました。晩年は血圧が高く、天気の良い日は具合が悪いと言ってました。なるほど、これは気圧と血圧の微妙な関係を察していたのかもしれません。

 母は自らの両親について、とても仲が良かったことを自慢そうに話してました。実は生前、私に言いませんでしたが、母の父(私の祖父)の位牌の日付を見ると、私の父母が結婚する前に他界してます。

P1040629【若き日の母・・・小学校の担任は内村鑑三の娘さんでした。】  

 その12年後に、母の母(私の祖母)は亡くなりましたが、両親の命日が2月23日と同じであることを「仲が良い夫婦の証拠」として私たち子供に誇りにしてました。

  写真は「倉賀野のこまち」と言われたらしい大正時代から昭和初期のものと想われます。

 ところで、20世紀と共に生まれた母は戦前戦後に人生の大半を過ごしたことから、栄養状態はよくなかったと想われます。80才を超えた晩年は体の不具合を度々訴えてましたが、私は家を継いだことから45年間、母と共に暮らしたので他の兄弟姉妹より、母と話すことが多かったです。

 晩年、夕食時には梅酒を軽く一杯飲み、1日の疲れをほぐしていたように見えました。そんな折りは、リラックスした様子でいろいろ話しました。

P1040618 【南天】

 歯は本当に大切で「入れ歯では味が分からないよ。」と言いましたが、若かった私は、あまり身につまされた感じはなかったです。しかし、最近になって、母の教訓が身にしみ「なるほど」と悟ってます。「冷や酒と親の忠告は後で利く」を実感です。

 一方、最近の医学では、健康長寿のため、歯を含む口腔機能の働きが健康であるか否かが、脳卒中や肺炎、大腿骨頚部の骨折に関係してるとの研究があり、延いては、寝たきり状態を引き起こし、要介護状態に陥る原因の一つといわれます。

 特に、歯を失うと柔らかい食材のみ食べる傾向で、緑黄色野菜が食べ難くく、野菜や肉は敬遠され、これが長期的に低栄養状態を引き起こし、栄養バランスを崩して骨粗鬆症や転倒に繋がると考えられてます。

Dscf0405 歯の本数が少なくなると、咀嚼する機能面がマイナスだけでなく【外見や自尊心、社交といった社会面で消極的になる】ようです。歯を健康に保つことが全身の健康はもとより、精神面における充実につながるのではないかと、生前の母の教訓を今になって噛みしめてます。

 私たちが【歯を健康に維持するには】食後のブラッシングはもとより、食物繊維を多く含む食材やカルシューム豊富な乳製品、軟骨などやや硬いものも食べる食生活の励行といえます。

 そして、歯科医に行くのは歯が痛くなってからでなく、【平素4ヶ月おきに歯垢を除去してもらう健診】が若さを保ち、精神、肉体両面における健康の基盤になると考えてます。 

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2008年3月 1日 (土)

井戸を潰してはいけないという母の教え

 群馬県館林市では行政をあげて市内にある個人の井戸の所在地確認に力を入れてます。水質検査をし飲料水として認定されると市に登録され、大地震など緊急時に水道の変わりに市民の飲料水として使われることになります。「備えあれば憂いなし」です。

 同市では2007年中越沖地震で被災直後に職員を派遣し、その際、災害直後は水の確保が最優先課題という教訓を得て、対策を検討してきたそうです。

 このニュースを知ったとき行政として見事と感心しました。平時であっても、私たちは1日として水を使わないで過ごせる日はありません。中でもキッチンでの使用、及びトイレの水は欠くべからざるものです。

 日々、蛇口を捻れば当たり前のように水が勢いよく出ます。コインを入れれば自動販売機で喉が潤せます。しかし、世界では水不足で困っている人々はたくさんいるといわれます。

 南の島の王様が来日したとき、名所旧跡を見学し、飛行機や新幹線にも乗り、おいしい日本料理も召し上がって滞在日程を終え、いよいよ帰国の途につくとき、「日本滞在中、最も印象に残ったことは何ですか」との質問に、彼の答えは何と「水道の蛇口」と答えたという話を聞いたことがあります。

 捻れば水が出る水道の蛇口が夢のようだったのでしょう。新幹線とでも答えるかと思われたのですが、日々、飲料水の確保がどれほど困難なことであるかが分かります。彼の答えに「水は命の源である」ということを改めて認識させられます。

 私たちは蛇口を捻れば水が出ることを当たり前のように生活してます。しかし、万が一、大災害によってダムや水道施設の機能が長期にわたり停止したり、破戒されたりすることは考えられなくはありません。

 このような時、市民を賄う水は不足するどころか無くなることも考えられます。このようなときこそ先祖の智慧で掘った井戸こそは宝の水となるでしょう。雨水は貯めておけばいざというとき防災に役立ちます。

 私の家には両親の時代に掘った井戸があり、代が変わって私の時代になっても毎日潤いを与えてくれます。最も有難いことは庭の植物に溢れるほど与えられますし、レース鳩の水浴に威力を発揮します。レース鳩には飲み水としても与え、ミネラルが豊富でいいと考えてます。市の水道が引かれるまで私たち家族は飲んでいました。

 井戸の素晴らしさは使えば使うほど新鮮な水が生まれ出てくることです。しかも、不思議なことに冬温かく、夏冷たく感じるのです。生前の母の「井戸を決して潰すのではないよ」の声が今でも耳に残ってます。

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2007年5月13日 (日)

花が好きだった母

親孝行したい時分に親は無し。今日は母の日です。6人兄弟の末っ子であった私は母が42才のとき生まれました。食糧難の時代にあって、今思うに6人の子育てはどんなにか大変であったろうと思われます。

 母は小学生の私に夕方よくおにぎりを作ってくれました。海苔は高 くておやつなどには使えません。遊び疲れた私が頼みますと、母は「味噌にする。塩にする」と、おむすびの回りにつけるものを訊きましたので、私は味噌を頼んだほうが多かったと思います。色がついてるほうが少しは良かったのでしょう。

  時々、友だちの持ってる玩具などがほしくなり「買っておくれ」というと、お勝手で薪の火をくべながら、「家はね、税務署が税金を取りに来るので、余分なお金は無いのだよ。それをしないと、さしょうさいになり大変なんだよ」と言いながら、私に言い聞かせるのです。この言葉の響きに何だか恐さを感じた記憶があります。今、思うに「差押え」のことです。

結局、母の説諭に従いいつも我慢するしかありませんでした。経済的に大変だったようで、食べ物についてや何かの支払いについて父と深刻に話してたような記憶があります。子供心に、にこにこした母の顔に戻ればいいのにと思ったりしました。

 進学でもずいぶん心配をかけたように思います。地元の大学合格発表の朝、発表を見に行く前に念のため新聞を見たら私の名前が掲載されていました。それを確認すると、母は「お前本当に良かったね」と肩を叩いてくれました。心から安堵したのでしょう。今でもその感触が忘れられません。

 大学卒業と同時にインド日本人学校教員採用試験を受験する時も、「治安が悪く、そんな暑い国に滞在して病気にでもなったら、一人でどうするの」 と泣きながら反対しました。今思うと母として本当に苦しかったのでしょう。心配かけてしまいました。

 こんなチャンスは二度と巡ってこないことを約2週間言い続けつけてお願いしましたら、「母もしっかり待ってるから行っといで」と受験を認めてくれ、合格しインドへ旅立つ日には、羽田飛行場へは見送りに来てくれませんでした。私の姿が見えなくなるのが耐えられなかったのです。

 その代わり、長い任務を終え帰国した時は羽田まで迎えに来てくれ、私の持つ荷物にずっとつかまってました。

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2007年3月18日 (日)

1910年のハレー彗星を見た母

生前に物を発明発見したり、あるいは芸術作品を創造して、自身はそれを味わうことなく世を去り、後世の人々がそれに驚いたり、恩恵に浴するとすればこんなすごいことはないでしょう。

 私がホームコンサートで度々弾くショパンの「ノクターン遺作」嬰ハ短調もその一つと思います。

http://www.youtube.com/embed/xuCtoy3Yvbk

 生前は未発表に終わり、死後、出版されて演奏されるようになりました。シューベルトの有名な未完成交響曲も1、2楽章及び3楽章の冒頭部分のスケッチのみであることはよく知られていますが、彼の死後37年経過してから楽譜が発見され初めて演奏されました。生涯僅かに31年です。人生は短し芸術は長し。

 このようなことで私が最も深い感銘を受けた人物はイギリスの天文学者エドモンド・ハレー(1656~1742)です。彼は生存中、対象となる彗星を見たのは一度だけです。しかし、生まれる前の1531年、1607年に出現した彗星は彼が26歳の1682年に現われた彗星と同一の天体ではないかと結論づけ、次回は1758年に出現すると予言して世を去りました。

399pxedmond_halley_royal_greenwich_  予言した彗星の出現をどれほど自分の目で確認したかったことであろうか。しかし、無念にも1758年を待つことなく亡くなり、その夢は後世に引き継がれました。そして1758年彼の予言通り正しく彗星が現われたのです。こんな偉大なことはありません。自分の名が彗星に命名されたことも知らないことになります。以後76年ごとに現われることが確認されてます。この彗星と同一の天体と思われる出現がこれよりずっと大昔の日本書紀や中国の古文書に記載されてるといわれます。

 私の母(1901~1988)は子供の頃の思い出として、母親に連れられ川の土手へ「ほうき星」を見に行ったと言ってました。大きな尾を引くそのほうき星は少女であった母の脳裏にすごく焼きついたようです。

 今、思うにこれは1910年に出現したハレー彗星です。日本でもハレー彗星が現われることが明治時代に報道されていたことになります。次回の出現予定は2062年ですから見るには大分長生きしなければなりません。20才代の人は可能性が大です。

 私たちは想像もできない大昔からの天体の動きと、その一つである地球上において自然の脅威と恩恵の中で生存してます。この大自然によって生かされてることに感謝感銘し日々過ごしたい。

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