カテゴリー「家族」の6件の記事

2008年4月20日 (日)

子離れできない親に未来はない

Dscf0159  人は石器時代より現代に至るまで、子供を産み、慈しみそばにおいて育てることを繰り返してきました。動物も同様に、本能によりこれら一連の動作を通じて家族を作り、命を次世代へと繋いでいるのです。

 こう考えると、私たちは「前の世代からバトンを受取り、次の世代へバトンを渡す」その間を人生といい、その期間あれこれしながら喜怒哀楽を伴ない生きてるのでしょう。

Dscf0158  これを陸上競技のリレーに例えれば、バトンゾーンで生まれ次のバトンゾーンまで走り、子供という走者にバトンを渡すのが人生かもしれません。バトンは早く受取り、できる限り速く手渡さなければなりません。もたもたしてては無駄が起こります。特に、できる限り早く次のランナーに渡すことが大切です。

Dscf0152  人生に於いても、この「できる限り早く次のランナーに判断力というバトンを渡す」ということが、なかなかできない親が時たま見られます。この意味は子供にべったりで、例えば30才を過ぎた子供が外出していても、常に携帯で指示するような異常な状態で、子離れできてない親です。

Dscf0160  一方、子供も親の判断に頼ることが当たり前になり惨めなことです。これは子供にとって精神の弱さにつながります。

 親の指示を仰ぐ生き方、親に判断してもらう生きる方から脱却できず、指示がないと不安になり、こちらは親離れできない状態になります。自ら決断できず、何をするにも先延ばしにしたり、自身で素早い的確な判断ができません。

 これでは結果的に子供は何事も親に縛られ、親は子供の大切な独立心や輝く人生までも潰し、今叫ばれてる「生きる力」の芽を摘み取っているのです。このような親子関係で育つと子供は成人してもどこか、ひ弱なところが見えものです。

 親は子供がある程度の年令に達したら、独立心をつけてやることが大切でしょう。そして、しっかり見守ってやることが必要です。

Dscf0161  翻って、私は二人の娘(33才と26才)の父親です。子離れについてはどうでしょう。私自身の気持ちでは克服できてるように思います。特に妻に先立たれ、本来ならば娘をそばに置いておきたいところですが、強い気持ちで子離れできました。ピアノ演奏やレース鳩飼育、山登り、たくさんの花木の手いれなども、私をバックアップしてくれたのでしょう。

 レース鳩でさえ生後30日を過ぎると親は雛を巣から追い出す動作を示します。人間より素晴らしい子離れ、親離れです。

 やがてお仲間入りする高齢化社会の幼稚園生としては、強靭な精神でこれからの世の中を生きていく必要があり、子供におんぶに抱っこしてもらうようでは、生きることに無理があって、ひ弱となり、ついには人生が短くなるようです。身近にそのような関係を見たのでつくづくそう思います。長くいっしょに住んでいた子供が結婚して別に暮らすようになったら、まもなく亡くなりました。どれほど寂しかったことか、これなど子離れできなかった親の悲惨な最後でしょう。

 私の娘たちは長女が横浜に嫁ぎ、次女は独身ですが、次女は母親が結婚した年を上回り、独立して生きてみたいとの考えで一人暮らししてます。最近、私は9部屋もある大きな家を建て、次女と暮らしたい気持ちが強かったのですが、現在は気持ちが変わり、親の私から独立し、親に頼らず成長し、何事も自ら判断し、精神は確実に頼もしさの増した次女に拍手を送れるようになりました。

 彼女の名前はMarie Persimmon Marshで、アルカーサル迎賓館においてウェディングプランナーをしています。私は一人暮らしであるにもかかわらず、大事な娘たちから完全に子離れできました。

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2008年1月23日 (水)

会話がなくては生きられない。

Dscf0449_2  もうかれこれ3000回ほど食事は一人です。こればかりは面倒だからと言って抜いたことは一度もありません。食事を摂取することは生きる中枢で、もともと生物としての本能なのでしょう。うまくできてるものです。

 中年の男性が食材の買出しにマーケットに行ったりする姿は時々目にしても、私の場合は「ねばならぬ」なので辛いところです。このため、時々は朝からデニーズです。温かい目玉焼きやおかず、トースト、ハーブティーとプロが料理した朝食はバランスが取れていて一見リッチであっても、男一人のその姿はやはり寂しい。

 それであっても、朝食は客が少ないこともあり、顔なじみの女性スタッフさんたちと何気ない話ができることが私の心の落着きにつながってます。

Dscf0445  先日は「メールと手紙ではどちらのほうがもらった女性の心に響くでしょうか。」などと相談じみたことまで訊きましたら、「それは手紙の方が嬉しいでしょう。」と笑顔で答えてくれました。

 今の私は会話がしたい気持ちで満ちてるのでしょうか。マーケットには度々行ってるので、レジの女性たちとは顔見知りです。支払いの用件だけを済ませることはまずなくて、彼女たちの方から話し掛けてくれるか、私からも何気ないことを必ず一言話し掛けてしまいます。でも、すごく楽しく感じます。

 このことは取引してる信託銀行の窓口に行っても、殆どの女性スタッフと知り合いになってしまって、客が少ない時は彼女たちは用件以外の話しもしてくださったり、私もつい経済以外のことも話したりしてしまいます。これはきっと人の温かさを私が求めているからかもしれません。

Dscf0422 今の急激な円高・株安の経済状況による客への対応に追われる日々であっても、明快な応対で現状を説明してくださいます。経済のプロとは言え、【洗練された言葉遣いにはお人柄が滲み】私は銀行へ来て良かったと思ってしまいます。

 どん底の経済状況であっても、円安、株高の早い回復を願わずにはいられません。私の場合、この他に家庭の回復という希望をもって生きてるのです。蕾が膨らんできた白梅、紅梅に夢を託そう。 

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2007年11月11日 (日)

生涯優しさを貫く

Dscf0072  母(義母)が86年の生涯を閉じました。妻の母です。妻はすでに他界してるので、娘のほうが先に逝ってしまったのです。妻の妹も数年前に亡くなり、近年、母は続けて2人の娘に先立たれました。

 このようなことは概してあまりあることでなく、順番通りであれば仕方ないことですが、母にとっては想像を絶する悲しみであったと思います。

 それでも、日々明るく振舞い生活し、私たちが会いに行くと常に歓迎してくれました。たくさんのご馳走も作ってくれました。しかも、ご主人が30年程前に他界し、それからは前橋の自宅でずっと1人暮らししてました。寝たきりになって介護を必要としたこともなく、自立心が強かったです。つい先日もお会いしたら優しい言葉をかけてくれました。このような崇高な精神をぜひ見習いたいと思います。

 20年以上前に実の父母を亡くしてからの私にとって、ただ1人の親でありました。このため、長年にわたり、心の支えになって頂いたのです。

 勤務が前橋になってからは時々立ち寄り、特にPTAと母の会や職員の会が夕刻からあるときは車を置かせてもらい、ついでに風呂まで頂いて、さっぱりして保護者たちの会に出席したものです。仕事柄、窓口や会の進行になることが多かったので、「五時から男」として出直して行くには助かりました。

 母の他界により一段と身内が少なくなり、私には相談する人がなくなってきましたが、これからの人生、友人をできるだけ作り、いろいろ生き甲斐を見出して張りのある生活をしていきたいと思います。【合掌】

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2007年10月 7日 (日)

風変わりな大家族です。

Dscf1022  26才になった娘は一人暮らしをしたくなったようです。娘の母親は25歳のとき結婚したので、それより年齢が上になりました。飽きればまたいつの日かいっしょに暮らすでしょう。

 娘の希望で柴犬を飼い始めたのですが、結局、私が世話してます。このように一人で暮らすようになりますと、犬は誠に人間の良き相棒となります。最近では私にいろいろねだります。

 写真の場所は縁側で左側が私が食事する室内です。放し飼いであっても室内へは入りません。大きなサッシで外と室内は遮断されてますが、開くのですぐにスキンシップは取れます。おねだりとは立ち上がってサッシの表面を両手を使って左右代わり番仔に擦るのです。10秒間くらい擦ります。

 今までドッグフード以外は与えてなかったのですが、最近、煎餅などを与えます。味をしめたのか、ねだる習慣がつきました。ねだったら無視しないで少し与えるようにしてます。これで信頼ができます。ほとんど私の食事の時です。人間の食事は与えません。

 満2歳になり元気そのものです。時々、犬走りをすごいスピードで走るので、運動不足はないと思われ、散歩は気分転換のためです。こんなことで一人暮らしになっても柴犬「コロ」に精神的に助けられています。きっと、柴犬は原始時代の大昔から家族と共に生活してたのでしょう。

Dscf0091 私の家族といえばこの他にレース鳩が100羽以上います。考えようによれば人間は一人でも我が家は大家族と言えます。毎朝、倉賀野町の上空を高く群れなして飛んでるのは正にPersimmon Marsh Loftの鳩群です。倉賀野の街中で本格的に鳩を飼って飛ばせているのは私だけです。

Dscf0106  鳩舎内では1羽1羽の止まり木が決まっていて学校の座席のようです。これは鳥類独特の縄張り現象なのでしょう。今年は病気が出ないで健康度はいいようです。巨大トウモロコシとレンガが餌の中心です。改築してからは鳩舎内が外部から見えないようになってます。飼い主の私はこれで「鳩が安心して心休まる」と工夫してるつもりですが、鳩にとってはどうでしょう。訊きたいところです。常に鷹など猛禽類の天敵から逃れ、安心した隠れ家が鳩舎になります。

 私の役目はこれからの季節、北風など換気を調節し快適な空気と適温、湿度を下げ床が常に乾くようにしてます。時々水浴をさせてあげてます。

Dscf0714  こんなことを言っても、実際一人で生活するのは何かと困るのです。人が恋しくなります。

 ピアノホームコンサート【無料】を開いて近くの方に来ていただきましょう。今月27日【土】午後2時から拙宅で行なう予定です。

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2007年9月20日 (木)

太陽黄経まもなく180度

Dscf1062  今日は彼岸の入り。娘が出勤する前に2人で菩提寺へ墓参りに行きました。私が願うことはいつも同じ「麻里ちゃんの健康をお願いします」と合掌しました。

 このところ続けて知人が他界しました。これを考えても健康のためにいろいろ工夫し実践することは何よりも大切だと痛感します。栄養、運動、休養のバランスを取りたいところですが、人間の意思とは弱い物、1番目は十分であっても、2番目の運動がどうしても疎かになってます。

 運動不足は内臓の各所にいろいろ支障をきたすように感じてます。そのためには、目先を工夫して持続させなくてはなりません。最近は車で景色と空気のいい場所へ行って歩くようにしてます。

 ところで、結婚したての頃、父母と妻それに私の4人だけの家族で食事もいっしょでした。当時を思い出すと、このうち私だけがこの世にいて3人はこの世にいません。不思議です。身近な3人がいなくなったのですから、「生は何か、死は何か」と自分なりに考えざるを得ません。でも「死とは何であるか」どうしてもわかりません。肉体が滅びたことは分かるのですが、「精神はどうしてしまったのか」分からないのです。彼岸のうちは先祖のことを改めてしっかり見つめ、感謝と共にお線香を手向けるつもりです。

 今の時期、北極と南極では例外的に地平線すれすれに太陽が周囲を回り、出ていたり、沈んでいたりであっても、日本を含む世界各地では太陽が真東から昇り真西に沈みます。

 彼岸については、昔からこの春分点と秋分点にあわせて特に東洋を中心に先祖の供養を行なってきているようです。太陽という大自然の動きにあわせて供養し、感謝する慣わしは日々のあわただしい生活から、「先祖のお陰で自分が生を受けてる」という基本に戻れるようで、彼岸は先人の素晴らしい智慧でしょう。今まではあまりしませんでしたが、妻が他界してからは守っていただいてる菩提寺に毎回お布施をするようになりました。

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2007年9月16日 (日)

秋が来ると思い出す

Dscf1087  日本の位置は温帯に属し、春夏秋冬があって、一般的に四季がはっきりしているといわれます。しかし、実際はどうでしょう。夏の前後は南東の高気圧と北西の高気圧が勢力争いし、日本列島に前線が停滞して昔からよく雨が降ります。

 前者は梅雨といわれ例年約1ヶ月半続きますが、それでも情緒が感じられます。後者は9月に相当し、毎年、長雨の季節です。今年もご多分に漏れず、連日天気が悪いです。また、時たま晴れると真夏のように気温が上昇し不快になります。

 このように考えると日本でも本州以南では雨の季節が二度あると言ってよく、1年が6つの季節に分かれると思っています。

 多くの国がそれぞれ地形的特徴を持った季節があるでしょう。緯度の高さや、あるいは海流の流れ、山岳の影響を受けて独特の季節に分かれているようです。私のいたインドでは雨季と乾季に分かれていました。ネパールは旅行として行ったのですが、インドに似てるようです。5月が夏休み、6月頃より雨季となり3~4ヶ月続き、10月からは半年以上にわたり乾季となって、日本晴れのような青い空が続きました。この時期に訪れるとそんなに暑くないです。

Dscf1088  本日は久しぶりに晴れて気温が上昇し、エアコンがほしいほどです。それでも、もうすぐ秋分の日。「暑い寒いも彼岸まで」といいますが、春分の日と秋分の日では温度はまったく違いますね。春分の頃はまだまだ寒いです。

Dscf1089  ところで、3年前の秋は亡妻の看病で、毎日、精神的な曇りで私と娘たちは本当に切ない日々でしたが、それとは比ベものにならないほど妻は辛く無念であったのです。病状は次第に悪化し、口数も少なくなり私のほうから話し掛けることが多くなりました。そして年の瀬ついに帰らぬ人となったのです。葬儀は大晦日でした。写真は妻が亡くなる1ヶ月ほど前に残した短歌です。不思議なことに死後、上毛新聞に掲載されてました。

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