カテゴリー「季節の移り変わり」の5件の記事

2008年2月 4日 (月)

知床旅情はモーツアルトの協奏曲のひ孫?

Dscf0536  1月1日は天文学的には意味がないようです。強いて言えば冬至の10日後ということでしょうか。しかし、立春は天文学上、意味があり、本日の日本時間午後8時が太陽黄経315°になる瞬間です。

 長い期間、日本を含め多くのアジア諸国では太陽太陰暦により、この日の前後の新月【今年は2月7日】を新年にしてたので、「新春のお慶び」という年賀状に残る言い回しは季節的に理解できます。しかし、現在の1月1日では新春とは程遠い季節感ですね。

Dscf0540  タイトルの「知床旅情」は森繁久弥さんが道東でのロケのとき作詩作曲されたといわれます。「今宵こそ君を抱きしめんと、岩陰に寄ればピリカが笑う」と加藤登紀子さんも歌われるこの曲は歌詞メロディーともに多くの人に愛され情感豊かな歌です。

 いよいよ今日から春。寒かった日々から次第に日照時間が増し、春ということばを度々聞くようになり、「いったい何からしたらいいのか」と活動を始めなくてはならぬ心境です。

 この時期の歌には、中田章作曲、「春は名のみの風の寒さや」で始まる「早春賦」があります。この作曲者は「夏の思い出」や「雪の降る町を」などを作曲した中田喜直氏の父です。群馬県立前橋高等学校校歌の作曲者でもあります。

Dscf0526  また、今の季節にふさわしい曲として「春への憧れ」と題する歌曲をモーツアルトは亡くなる年に作曲しました。「いとしい五月よ来ておくれ、そして木々を再び緑にしておくれ」と、まだ寒い1月に作られました。

  生涯僅かに35年の彼は「春への憧れ」を通して、もっと生きたい生への憧れをも歌ったのでしょうか。ところで、この歌の冒頭の旋律はその直前に完成した彼のピアノ協奏曲27番第3楽章の主題から取られてるといわれます。

 実は以前から私は上記の4曲は旋律においてよく似ていると思ってます。

Dscf0498  モーツアルトの「ピアノ協奏曲27番」第3楽章の主題が元祖であり、それを基に「春への憧れ」が生まれ、続いて中田章作曲「早春賦」が生まれ、最後に森繁久弥さんの「知床旅情」へと繋がってるように思えてなりません。特に二部形式であることが共通し、何と言っても音楽の出だしは本当によく似てると思います。

 この意味から「ピアノ協奏曲27番」の子供が「春への憧れ」となり、孫として「早春賦」があり、そして「知床旅情」はひ孫と言ってもいいのではないでしょうか。ぜひ、順番に聴き比べて下さいね。

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2007年12月19日 (水)

庭の植物から教わる

Dscf0353  一年を通じて青々と生い茂る植物は少なく、ご覧の通り、初冬の庭木は閑散として、もの哀しく私の心境のようです。それでも、そばに行ってよく観察すると多くの木々は小さな蕾を持ち、すでに来春の準備をしてます。「辛い時でも望みを内包する人間になれ」と教えてるのでしょうか。

 花梅の早生は2月には咲くでしょう。花梅は種類によって開花時期がずれるので、今の時期でも、蕾の大きさはすでに異なってます。すべての品種が同時に咲くのは毎年3月上旬になり、紅白咲き分けの「思いのまま」を中心として開花と香りが楽しみです。

Dscf0355  それでも、季節の移り変わりの今、マユミはまだ赤い実をつけ、何だかみすぼらしくなり、このまま、正月まで持ちこたえるかもしれません。まるで今年の植物と来春咲く植物の橋渡しをしてかの如くです。

 恥ずかしいことに、現在、落ち葉の掃除を殆どしてないので庭いっぱいに広がり、山の中のようです。風情があっていいなどと悠長なことは言っていられない状態です。年末には、きれいにして新年を迎えたいものです。

 それには、熊手で掻き集めなくてはなりません。落ち葉の量があまりにも多く10袋以上になるでしょう。このため、腰を痛める可能性があります。年が若いのにこんなことを言って情けないですが、葉っぱを袋に詰めたり、しゃがんで作業するとやられます。

Dscf0352_2  私は決して高齢ではありませんが、最近、改築した鳩舎は高齢化対応になってます。このため、掃除や水浴の準備など管理で腰を痛めることはなくなりました。鳩舎内ではすべて立ったまま作業できます。

 ところで、歩いて歩いて足腰を鍛え、弱音を吐かない人間になりたいものです。一人暮らしで気が参ってる上に身体がおかしくなったら、これこそ泣き面に蜂です。体重はきちんと管理しているので、上手く「BMI=22」をキープしてます。でも、これはあくまで内臓脂肪の観点からでしょう。

 人の身体は宇宙のように神秘なので、BMI=22キープはもちろん、運動能力をはじめ姿勢など自分の意思で改善できることは努めていきたいです。

 植物から習うことはいろいろあります。厳寒でも蕾を持ってる梅のように、辛くても望みを捨てないでいたい。

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2007年11月25日 (日)

誕生日でも憂鬱だったかも

Dscf0204  連日、寒い日々が続きましたが、今日は晩秋にしては暖かかったです。昔からこのような日は「小春日和」と呼ばれてきたのでしょう。

 実は私は旧暦(太陽太陰暦)が好きなのです。しかし、好きでもどうにもなりません。明治維新以後の文明開化と共に、日本は世界と歩調を合わせる必要から、暦の上でも旧暦から新暦(太陽暦)へ移行せざるをえなかったと考えられます。

 長いこと使われてきたので旧暦のままでも生活に不便はなかった筈で、庶民にとっては返って現在の新暦より季節との結びつきがあったと考えられ、今でも残ってる多くの季節用語は江戸時代はもちろん、それ以前の生活体験から生まれてきたと思われます。

Dscf0208  本日のような日を小春日和というのも、元々、小春という言葉が旧暦の10月の異称といわれます。本日は旧暦の10月16日ですから、今の時期、今日のように暖かな日が昔からあったのでしょう。

 旧暦では、十三夜や十五夜、十日夜(とうかんや)のみならず、毎日の月の満ち欠けそのものが日付となってるので、カレンダーがなくても分かり、気持ちがいいですね。何よりも六曜については毎年、同じ日が同じ曜日というのもいいです。

 例えば大安の日に生まれた人の誕生日は毎年大安となります。これはラッキーですが、同様に仏滅に生まれた人は生涯、誕生日が仏滅という笑えない事態もあった筈で、お祝いしてもらっても何となく憂鬱な気持ちだったに違いありません。このようなことは聞いたことがありませんが、旧暦ではこれは正しい筈です。

Dscf0217  小春日和のように情緒ある季節感の言葉は今でもたくさん残ってます。師走に向かう日々ですが、これからも寒さと孤独感に負けず戸外に出てのびのび身体を鍛えたいです。

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2007年11月20日 (火)

倉賀野町のクロガネモチ

Dscf0168  タイトルは早口言葉のようです。クロガネモチは鳩舎の横に植えてあり赤い実がなってます。いずれ野鳥に食べられてしまう運命です。

 今の季節は多くの木々が落葉しつつあり、何とももの侘しい時期であります。一方、このクロガネモチを始めとしてピラカンサツ、マユDscf0068 などの色鮮やかな実は私たちの心を惹きつけます。自然の織り成す芸術はつくづく見事なバランスと感じます。

 山々の紅葉は一時の最高潮から次第に色あせてる今の時期にあっても、反面、このように樹木になる実はますます色濃く、自然というステージ上では紅葉から実へと次から次Dscf0129へと主役が入れ替わってます。目を引く色彩は私たち人間のみを楽しませるのでなく、野鳥には楽しみとともに食料を供給することになります。

 Dscf0128あくまで推測ですが、 多くの実が赤いのはよく目立ち、野鳥に見つけられやすいためかも知れません。野鳥が餌として食べ、それを飛翔により別の場所へ運び、糞と共に排泄し、今度は栄養の付いた種として子孫繁殖へと繋がる樹木と野鳥の相互依存があるのでしょう。

 それにしても、早春の梅と鶯はもとより樹木と野鳥は密接な関係にあるようです。また、樹木は野鳥を猛禽などの天敵から身を隠す場所にもなるようです。

Dscf0171  レース鳩を飼育してるので、時たま見かけますが、鷹などが上空に飛来すると鳩は樹木や藪に逃げ込むことがあります。どれほど恐ろしいのでしょう。自然は私たち人間や動物に数々の恩恵を与えると共に、反面、脅威も待ち伏せてるといえるでしょう。 

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2007年11月 4日 (日)

晩秋もいいものです。しかし・・・

Dscf0068  一見もの悲しい秋の夕暮れは現在の私の境遇や心境に共通してるように感じます。ところが、一般の植物は冬支度の準備にあっても、このような時こそ自分らしさを表現する機会とばかり、ピラカンサは晩秋の今、1年の中で最も輝いてます。

 この真紅には自然が織りなす見事な色彩が私の心に迫ってきます。この強さも秘めた個性的な表現には感銘せざるを得ません。一般的にはもの悲しくなる晩秋であっても、あるいは人間も心の持ち方一つで輝いたり、心の充実につながるのでしょうか。

 先日のピアノ発表会の折も、技術的には未熟ですが、大作曲家の名作に接し、鍵盤へのタッチの加減いかんでは納得した音が出て、鑑賞者と楽しい時間を共有することができました。

Dscf0071  音楽の場合、表面的には暗くもの悲しい曲であっても、例えば「月光の曲」のように時折、雲間から光が差し込むかの如く、安堵の瞬間が生まれ出てホッとしたり、また寂しくなっても、その移り変わりこそ味わい深い聴きどころと思われ、これは人の心の動きそのものに感じます。

 私の場合、今は本当に辛い日々です。人は一人では生きられないことを身をもって感じています。状況は辛くとも、ピラカンサのように境遇に負けないで強く生き、どうにかして輝きたい意思を持ち続けています。

 こんな状況であっても、いい友がいたり、柴犬やたくさんのレース鳩、四季折々の植木たち、音楽が心を満たしてくれてます。でも、できれば晩秋より春がいいのが本音です。 

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