カテゴリー「倉賀野のすばらしさ」の2件の記事

2008年6月11日 (水)

椎の樹マンドリンアンサンブルを聴いて

Dscf0140  私の住む倉賀野町でマンドリンアンサンブルを鑑賞できるとは思いもよらぬことでした。人口1万足らずの小さな町であっても音楽文化を大切にしてる方々がいることを知り嬉しくなりました。演奏者の皆さんは自信を持って生き生きと、ご自分の弦楽器を奏でていました。

 写真の通りマンドリン、マンドラ、ギターによる編成です。主旋律を受け持つ第1マンドリン、第2マンドリン、対旋律を受け持つマンドラ、低音部とリズム伴奏及びアルページョによる伴奏を主とするギターによる合奏で、全体としては4部のパートによる合奏です。

  演奏者は指揮者も含め全員が女性で、観客も殆ど女性で埋め尽くされていました。私としては普段味わえない何か温かみのある響きに聴こえました。

Dscf0136  演奏者の方々は学生時代にこれらの楽器を手にしていたのでしょうか、最近始めた趣味の領域とは考えられ難く、まるで昔取った杵柄のように指の運びはスムースで、音色に輝きが感じられます。これ程のレベルでしたら、きっとレパートリーも幅があることでしょう。

 たぶん、家庭の主婦をこなしながら時間を作り、音楽芸術に励む姿には現代の「主婦のあるべき理想の姿」を呈してるように感じます。家族の理解はもちろんのこと周囲の支えがあり、本日の演奏会を迎えたことと思われます。きっと、がんばり屋さんのチームワークなのでしょう。

Dscf0141_2  エアコンの効かない狭い会場での演奏は蒸し暑くて、弾き難かったと思われますが、それをものともせず演奏美に専念された姿には感銘です。今度は広い会場がいいですね。

 演奏全体についての感想としては、音を伸ばす場合、マンドリンはトリルによるローングトーンであるので、どうしても音が切れやすい楽器自体の宿命があるように感じました。マンドリンがもう少し多ければ楽ですが、できたらフルートの方を探して補ったり、また、低音部の充実には弓を使った弦バスが1本欲しいところでしょう。

 これにより、演奏は一層、重厚味が増すと思いました。リズムについてはギターにより明確な表現になってますが、例えば「白鳥の湖」の踊りでは、簡単な打楽器をどなたか兼務されてもよいと感じました。

Dscf0135  途中、会場のお客さん全員で歌う場面があり、プログラムに変化があり楽しかったです。「椰子の実」「知床旅情」「月の砂漠」などを歌うとき、可能であれば指揮者の方は会場のお客さんの方を見て指揮されれば、より一層、文字通り「ふれあい」につながると感じました。それにより美しいお顔ももっと拝見できて良かったと思います。

 本日は倉賀野でこのように本格的な演奏を鑑賞でき大きな収穫です。こんな素晴らしい「椎の樹マンドリンアンサンブル」があることを倉賀野の住民にもっとPRしてもいいでしょう。それにしても手弁当での演奏とは恐縮です。弦楽器の優美な音色を満喫でき、心の充実したひとときを持つことができました。  

| | コメント (5)

2007年12月15日 (土)

倉賀野の歴史を偲ぶ巨木

Dscf0299  江戸時代の上州・倉賀野の活気は満ち溢れていたようです。中山道の宿場町として賑わいを見せ、たくさんの蔵が散在し、それは地名の由来とも言われてます。その中にあって最大の特徴は江戸からの帆掛け舟が往来し、倉賀野河岸をターミナルとして信州や越後への交通の要所であったからといえるでしょう。

Dscf0227  今でも烏川のほとりを散策すると、河岸跡は船着場の面影が感じられ、停泊しやすいように流れが穏やかです。その河岸から曲がりくねった牛街道を上り中山道に合流したところに法令や禁令を掲示した高札場がありました。

 写真はその隣りにある現在の須賀(喜)家の前に建つ脇本陣の碑です。この家の作りは倉賀野の中でも江戸情緒を今に伝える唯一の建築物と言えそうです。屋敷の表裏にある歌舞伎門、江戸瓦、防火壁、格子戸の建具、及び外部侵入者を防ぐ刺の垣根はそのまま現存してます。

Dscf0228  倉賀野の方でもこの家の中に入らせてもらった人は数少ないと思われますが、私は10才頃、父に連れられて入らせてもらった思い出があります。特に裏に広がる庭園には数々の樹木が茂り、幼い日の私にも倉賀野には植物園のような庭園があると驚いた記憶があります。

 その隅に今でもそそり立つ巨大なケヤキは江戸時代の栄華を物語るかの如く倉賀野の四方から眺めることができます。私の推定で樹齢約500年と思われるその巨木の高さは約40メートル、1本1本の枝は一般のケヤキの幹に相当するほどの太さです。

Dscf0297  人間の寿命とは比較にならない想像を絶する年月の刻み、幹の梢が詰まってるように見え、それも物怖じしない凄い貫禄です。このような巨大な古木であっても初夏には全体が若々しい新緑に覆われ、それは野鳥にサンクチャリーを与え、私たち町民に朽ちない永遠の息吹を感じさせてくれます。

 倉賀野に生まれ育った人たちはこの巨樹を朝夕仰ぎ見て成長してきました。

 人間の肉体は簡単に朽ちてしまいがちであっても、巨樹の計り知れない生命力の一片でもいいから授かりたいものです。私たち人間も精神的に肉体的に大地にしっかり根を下ろし、人生の荒波という風雪に耐えると共に、自然からの恩恵を享受し、巨樹の生命力に一歩でも近づきたいものです。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)