カテゴリー「倉賀野のすばらしさ」の31件の記事

2019年7月 8日 (月)

巨樹の幹 不思議な穴が 今もなお

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 ご覧の大きな木は欅で、樹齢は推定400年ほどです。私の家の窓から東に見え、倉賀野小学校の南にあります。おそらく、倉賀野町で最も古い樹木でしょう。夏になると数千匹の蝉がこの木で鳴き、私の家まで聞こえます。

 不思議なことに幹の高さ10mほどのところに直経50㎝ほどの大きな穴が開いてます。何故、穴が開いてるのか持ち主に訊いたことがあります。彼曰く「理由は分かりませんが、子供のときから開いてました。」とのことです。おそらく、江戸時代から開いており、これは倉賀野の七不思議です。


 As you can see in the photo, the huge tree is a zelkova. The age is estimated 400 years old. I can see it to the east from the window of my house, and It situated in the south of Kuragano Elementary School. Probably the oldest tree in Kuragano town. In summer, I can hear at my house a loud chorus of thousands of cicada on this tree.

 Curiously, there is a big hole about 50 cm in diameter at a height of about 10 m of the trunk. I have ever asked the owner why there is a hole. He says, "I do not know the reason, it had been opened when I was a kid". Perhaps it had been opened since the Edo period I guess. Therefore this is one of the Kuragano's Seven Wonders.

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2018年1月29日 (月)

驚愕!!倉賀野河岸の大杉神社が榛東村に現存

Photo【榛東村にある八幡神社・・・元は倉賀野の大杉神社】

 群馬県の倉賀野町に住む私は、若いとき歴史に疎く、ましてや故郷の昔についての知識欲はなく、今になって思えば、もっと父母を始め、近所のお年寄りや故郷の歴史家に明治時代やそれ以前の倉賀野について、話をいろいろ訊いておけばよかったと、年を重ねた現在、深く後悔してます。
 
 その一つが、今日のテーマである烏川の岸にあり、室町時代~江戸時代~明治初期にあった大杉神社の存在です。
 
P1020557【現在の説明板・・・大杉神社跡に建てられてる】
 
 倉賀野を流れる烏川は往時、倉賀野河岸として有名であり、江戸から3~4日かかって川舟で着いた荷物の塩や海産物を陸揚げし、牛車を使って、信州や越後へ荷を運び、一方、帰り舟では内陸で収穫した穀物などを江戸に運び、最盛時には大小一万の川船を有し、利根川上流では最大の河岸であったと伝えられます。倉賀野には今でも牛街道という道が現存します。
 
 その川岸の北の高台に舟や船頭の守護神として「大杉神社」があったことが知られています。しかし、現在、大杉神社は跡形もなく、その面影を残すものは殆どありませんが、ただ、貴重な物が一つ残っています。おそらく現在、多くの倉賀野町民にも知られてないことでしょう。それは当時の「大杉神社の石段」です。石段にはそれを作った石屋の名が刻してあり、誠に歴史の事実を示すものです。信州の石屋と解読されてます。
 
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P1020562 【階段は現在ここに住む青木さんが利用されてる・・・左に石工名が刻まれてる】
 
 明治初期まで長年にわたり栄えた倉賀野河岸は、文明開化の象徴である鉄道の発達により、河岸は衰退し、しばらくして消滅しました。空き家になった大杉神社はその役目が終わり、明治42年に売りに出されたといわれます。
 
 実は私の父は明治29年に倉賀野で生まれ、その後、少年時代にしばらく大杉神社があったことになり、当然、13才であった父は家から近い大杉神社へ行ったことがあると十分に想像できます。このため、生前、父に大杉神社について詳しく聞いておきたかったと今になって後悔する私です。
 
 20年ほど前から私は倉賀野に大杉神社が存在してたことを知り、その後、幾度となく大杉神社跡を散策し、実は今朝も、大杉神社跡に行き、現在、その土地に住まわれてる年配の青木夫人に偶然会え、いくつか話が聞けました。
 
 それによると、ここに住んでいた先代のお爺さんの話では「大杉神社の社殿は榛東村へ売られ、そのままの姿で榛東村に現存する。」という話を覚えてると話されました。
 
Photo_2 【榛東村に八幡神社の名で現存する大杉神社】
 
 実は3~4日前の地元紙・上毛新聞「ひろば」に榛東村の湯浅様の投稿が掲載され、その題名は「榛東に残る倉賀野河岸の記憶」でした。これを読んで、今朝の話と一致し、誠に驚いた私です。
 
 新聞を読んで、昨日、早速愛車を飛ばし、倉賀野から22Kある榛東村の八幡神社を訪れました。初めて旧・大杉神社を目にし、倉賀野生まれ、倉賀野育ちの私は感慨無量になりました。暫く、境内に佇み、周辺を眺めたり、心で思いました。「八幡神社が江戸時代、大杉神社として倉賀野にあり、船頭の守護神であったずっと後に生まれは私ですが、今日、初めてお目にかかり、こちらで榛東村民のために活躍されてる姿を目にし、安堵しました」と心で伝え、大きな鈴を鳴らしました。
 
 一方、倉賀野の大杉神社跡には現在、それを示す碑が建立されてます。
 
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P1020559 【左に烏川が見えます。】
 
 それにしても、一般的に考えると、神社は古くてもそこに現存してるのが普通であり、何故、大杉神社はないのか、長年にわたり不思議でなりませんでした。榛東村では以前の社殿が火災に遭い、丁度売りに出た大杉神社がそちら行くこととなり、神社として第二の人生を送ってることを、この目で見て確認できた次第です。
 
P1020532【立派な彫刻が施されてた大杉神社・・・現・榛東村の八幡神社】
 
 榛東村の現・八幡神社を倉賀野から購入したのは110年前になり、元の名前が大杉神社であったことからでしょう。その周囲には推定100本ほどの大杉が八幡神社を囲んでおり、当時の人々が元々大杉神社であった名を大切にし、たくさんの杉を植林して神社に安心させた心遣いが伝わってきます。現在も杉の巨木に覆われた宮の森になってます。
 
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P1020554 【杉の大木に囲まれ境内に駐車した愛車】 
 
 倉賀野町で生まれ育った私はこれからも倉賀野の歴史の真実を知るため、足腰の鍛錬を兼ね、あちこち散策しながら、証拠となる碑の解読や歴史の事実を示す手掛かりをこの目で確認したい心意気です。
 

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2016年8月18日 (木)

倉賀野町の人は必見です・・・歴史博物館

P1010643 【青々した群馬の森】・・・写真はすべて拡大してご覧ください。

 車で10分ほどの所にある群馬の森は一面芝生に覆われ、ここが戦時中、火薬所であった事から上空から見え難くするために生茂る樹木を植えたと推測できます。

 現在でも当時の巨樹の数々がそのまま現存し、平和な現在、森の中は逝く夏を惜しむ家族連れで賑わってます。私は年に数回、森林浴や近代美術館、そして歴史博物館を訪れます。

P1010645  ここ群馬の森の一角にピラミッドを彷彿させる現代的建物が群馬県立歴史博物館です。この度、リニューアルオープンし、常設展示の内容や見学の順路が大きく変わりました。旧石器時代から近世まで、群馬の歴史を誠に詳しく展示・解説してあります。

 以前の常設展示と内容が変わったことから、目新しい展示場を見て回っていたところ、急に飛び込んできた大きな「街並みの模型」に心から驚きました。

 それは私が生まれ育った倉賀野の江戸時代における宿場町の模型であり、かなり大きな展示物です。こんなに見事に出来てる展示は予想外で驚愕そのものです。一軒一軒の家と今でも残ってる道があり貴重な展示です。誠によく企画・作製していただき歴史博物館に感謝です。

 町の中央を通過する中山道や、閻魔堂の分かれ道、大門(田屋町)への入口に文字通り、大きな門あるではありませんか。倉賀野では今でも田屋町のことを大門(だいもん)と言います。ここには私の親戚があり、昔から大門ちと言ってます。おそらく150年ほど前に取り壊されたと推測できることから、私は本物の大門を見たことがなく、模型の中に初めてその門が見え、この場所にあったのかと場所を知り感銘です。

P1010655【本陣(現在ベイシアの位置)、及び赤い鳥居が大門】

 ところで、街並みの丸印の位置が私が生まれた場所(旧・原道屋)です。私の生家は江戸時代に作られた二階建て蔵造りです。建設年代は幕末と推定されるので、この模型の家はそれ以前の建物です。

 しかし、私は本陣【後に十一屋、現ベイシア】のすぐ北で生を受け、現在は旧・高崎信用金庫の建物がある地点です。私の生まれた場所がこの模型内にあり、本当に感銘です。すぐ右が九品寺へ入る道です。

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 これは現在の上町の信号の東に位置する須賀喜邸とその裏庭の庭園です。この庭園は現存します。右上の細い道が牛街道です。

P1000971 【現在の須賀喜邸】

P1000976【現在の須賀喜邸の庭園】

 それにしても江戸時代の倉賀野町の模型をよく作ったものです。おそらく、東京国立博物館に残ってた資料を元に作製したものと想われます。

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 こちらは下町の閻魔堂付近です。北(下)へ行く細い道は諏訪神社への道です。宿場町の家並みは中央を通過する中山道を挟むように両側に家が並んでるのが特徴で、これこそ宿場町特有の姿でしょう。この光景に似て現存する街並みが安中市の坂本宿です。

P1010651【宿場町倉賀野のほぼ全景と右側が烏川の河岸】

 倉賀野町を通過した参勤交代の大名行列は九州からも含め、山陽、北陸などから中山道経由で倉賀野を通過したと伝えられます。これは東海道を通過すると渡るのが困難な大井川があるためといわれます。

P1010657 【江戸~倉賀野河岸を往復した高瀬舟の模型】

 一方、倉賀野には江戸からの船着き場として河岸があったことから、江戸時代の倉賀野は現在より遥かに活気に満ちた宿場町であったと想像できます。

 倉賀野町の皆さん!ぜひ、群馬の森の歴史博物館に足を運ばれ、江戸時代の倉賀野の街並みをご覧になってはいかがでしょう。心からお薦めします。

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2016年4月21日 (木)

倉賀野町のシンボル巨樹が伐採される・・・無念・・

P1000959 【今となっては貴重な写真となった倉賀野最大の樹木】拡大してください。

 樹齢約400年と推定される倉賀野町上町・須賀喜邸の巨大なケヤキの木(モクノ木)が急遽伐採されることを、近くを歩きながら偶然に知った私は、何と言う「短絡的思考による判断か」と現代人の樹木の見方に失望すると共に、身近な倉賀野の歴史を一瞬にして塗りつぶす一つの行為に憤りを感じざるを得ません。この巨木は高さ30mほどあり、四季を通じて鳥たちのサンクチャリーでもありました。

 須賀喜邸の庭には10才のころ父と一緒に入れてもらったことがあり、当時の印象は倉賀野にこんなに自然が残されてる庭があるのかと子供心に驚いた記憶があります。今回、巨樹の伐採工事で裏門が開いてたので暫くぶりに中に入って眺めてみました。そこは一面、植物に覆われ、昔懐かしい屋根つき井戸がある植物園の佇まいが現存してます。

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 一方、旧国道17号脇には下のように高崎市がこの巨木を保存樹木として指定してる標識があり、いわば、これに違反してか、無視しての伐採です。落葉や落雷は今に始まったことでなく、その声に対抗しつつ数百年生き長らえてきたのでしょう。

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 巨木が育つには数百年、しかし、現代の機械による伐採時間は半日足らずです。もう、倉賀野のシンボルツリーは見る影もありません。巨木保護に対する教育の欠如です。

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 大型クレーン車2台による伐採は、一台は巨大な枝が伐採後落下しないようロープで固定して吊るし、もう1台に木こりが乗って、チェンソウで太い枝を切り落とす方法です。

 枝といっても直径30㎝ほど、チェンソウの轟音は伐採位置が高いこともあり、倉賀野に広く響き渡りました。すべての枝に新緑がついたままで、ついにあっという間に丸坊主です。

P1000975 P1000977 【今後、果たして新たな芽が吹くでしょうか】

 実は最近の倉賀野にはとても寂しいことがあります。それは祭りの激減です。1月の烏川の畔で行われた道祖神祭りは子供の頃の楽しみだったが、その風習はなくなり、7月の通称「ワッショイ」は万灯を持っての町内別行進は迫力があり、他の町内と出合い対面すると万灯を互いにぶつけ合い、時には、ろうそくの火が燃え移り、興奮したものです。

P1060641  一方、こちらも江戸時代から続いてたと想われる8月16日の「閻魔堂」の大祭が昨年は行われませんでした。新たなお堂になり、盛大な祭りを期待した町民は多かったのではないでしょうか。

 高崎市に合併以来、倉賀野には町長・町議など、倉賀野生まれの指導者がいなくなり、延いては倉賀野をまとめる人がいなくなり、事態は悪化してます。近隣の岩鼻町や山名町では夏祭りとしてたくさんの打ち上げ花火が上がっても、倉賀野は町自体はそちらより大きいのに毎年ひっそりしてます。

 これには一つの原因があり、上町、仲町、下町、正六、南町、田子屋、大門、横町、駅前、などと地区別に昔から対抗意識があり、これにより全体をまとめる人物が生まれないところに原因があると考えます。

P1000971【江戸時代の威厳を今に伝える須賀喜邸】

 裏の庭園は自然の宝庫、倉賀野を高きより見下ろした巨木は急遽伐採され、倉賀野の歴史的シンボルツリーがなくなり、空しく思うのは私だけではないでしょう。

 古い歴史を持つ倉賀野は、現在の町民に対し故郷の歴史教育を充実させるべきです。

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2016年2月29日 (月)

百名山を登攀した倉賀野の登山家・・大井さん逝く

P1070410 【角落山山頂から見た浅間山】・・・Enlarge please!

 倉賀野町のアルピニスト大井さんが亡くなりました。近所に住む私としては群馬県内外の山々へご同行頂いたというより、連れてっていただきました。絶景の山頂での語らいは数々の思い出があります。

 中でも、印象に残るのは正月登山として登った赤城山系・長七郎山、十二ヶ岳、物見岩、浅間隠山など、山頂から眺めた新春の山々は厳寒にして静寂の中にあり、何万年と変わらぬ広大な景色を眺めつつ戴いたお屠蘇の味と楽しい語らいは忘れられません。

P1070411 【角落山山頂から眺めた妙義山】

 昨秋には彼ご夫妻と私の3人で、予てから私の希望であった角落山に連れてっていただき、生涯忘れぬ難関な登山コースに命の危険を感じるほどスリルを体験し、山頂を極めた達成感に浸ることができました。未だ四ヶ月前のことです。

 角落山は健脚向き山岳コースであることから、事前にそれが分かっていれば素人の私は彼にお願いしなかったでしょう。「知らぬが仏」と適切なご指導により結果的に私の登山人生で、険しさにおいて歴史的な体験になりました。

P1070405 【角落山山頂から見た浅間隠山】

 以前に写真の浅間隠山へも正月登山として連れてっていただき、山頂からは四方の眺望が素晴らしく、いわゆるパノラマの光景が体験できました。その浅間隠山を昨秋は角落山山頂から眺めることができ、強い意志と身体的努力によって大自然が身近になることを教わりました。

 実は、彼は「日本百名山」をすべて登られた数少ない登山家です。おそらく我が倉賀野町には他にいないかもしれません。この話を聞いた時、私は記念に達磨をお贈りました。達磨には「百名山登頂達成」の文字を入れ、偉大な意志と体力を称賛しました。同時に、少しでも彼の足もとに近づきたいと思いました。

 一方、彼は第一の人生をJRで活躍され、第二の人生は庭師として喜びを見出し、登山で知り得た樹木の自然の姿を手本とし、多くの庭の植林や剪定に打ち込みました。

 また、絵描きとして数々の作品が残され、それは今なお輝き、その魂は残された人たちへ永遠に伝えられていくでしょう。

P1070397 【角落山へ向かうご夫妻】

 彼は昨日、79才という若さで旅立たれ、ご本人はどれほど無念であったことか計りしれません。彼から教えを受けた厳しい自然に対する心構え、楽しい交流法は私の脳裏にしっかり刻まれてます。

 ご冥福を祈ると共に、生前にお教えいただいた温厚な生き方を、今後の生活の中に生かしていきたいです。 

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2015年9月14日 (月)

「煙の恐怖」とAEDを体験・・・意義ある防災訓練

P1070169 【防災訓練中も常に出動状態にある消防車】

 昨日、倉賀野町上四町内で防災訓練が行われました。私も役員として作業とともに、三種類の防災体験をしました。町内の参加者は今までにない緊迫感を持って実践的な防災訓練ができました。

 3.11東日本大震災に始まった昨今の日本列島は、昨夏の広島県の山崩れ、今般の関東東北に亘る大雨と、それによる鬼怒川の堤防決壊による大洪水など、次から次へと自然災害が猛威を振い、人生の途中で想いもよらず犠牲となられた方々のご冥福を祈ると共に、未だ行方不明の方々の無事を祈ります。

 ところで、今般の「鬼怒川」の堤防決壊とそれによる大洪水は、遠い昔の祖先がこの河川の恐怖を現代人に伝えるための命名だったのではないでしょうか。鬼が怒る川とは、おそらく1000年以上昔から、川沿いの人々は幾度となく大洪水の恐怖に慄き、幾多の犠牲が繰り返されたのではないでしょうか。

P1070172【このテントの中は煙が充満】 

 このような現実の下、今回、町内で行われた防災訓練は決して形骸化が感じられず、参加者全員が真剣に取り組むことができました。従来は起振車による揺れの体験などが主で、どうしても見てる人の笑いを誘うことになり、防災訓練での緊迫感が不足がちの面もありました。

 今回の訓練では消火器の実践もありましたが、圧巻は「充満した煙のテント内を通過する体験」です。

 参加者全員が三人ずつのグループで中に入ります。テントの長さは7~8mで結構長いです。実験ですから、煙の種類については吸っても危険がなく、熱のないものです。

P1070171 【恐る恐る入る参加者】

 ついに私も入りました。入る否や白い煙だけで全く何も見えません。出口の方向も分かりません。ハンカチを口に当てましたが、息が吸い難く、実験であっても途中で命の危険を感じ恐怖感に駆られました。歩くとテントの壁にぶつかってしまい、方向感覚がなくなり、パニック状態になりました。

 現代の火災では、合成樹脂の建材から排出される猛毒の煙を一回吸うだけで多くの場合、意識が朦朧としてしまうようです。

 それに加え、実際の火災の煙は想像を絶する高温であることから人間の判断力や、肉体は一瞬にして機能しなくなるでしょう。こんなことから、一にも二にも火災を出さぬ不断の心掛けと避難経路の確保ではないでしょうか。

P1070176 【心臓マッサージとAEDの使い方を体験】

 前述の通り、今回の防災訓練では、参加者はどの分野も真剣に体験しました。先ず、倒れた人のダミーを使って心臓マッサージの方法です。両手を重ねて腕を伸ばし、胸の中心部に体重をかけて連続して30回押します。

 その後、持ち運びができるAED=Automated External defibrillatorを使う体験をしました。赤い器具を開けると音声で案内が始まります。身体に貼り付けるパットが2枚あります。一枚は患者の右胸の上部に、もう一枚は左胸の横に貼り付けます。その後も音声通りに行います。

 一度体験しておけば、実際に遭遇しても人に頼らず、慌てず対応できるでしょう。多くの人がAEDの扱いを体験しておくべきと思います。

 一方、最近は公共施設など多くの施設にAEDが設置されてます。しかし、現場の職員も扱いについてあまり体験してないと聞きます。

P1070167_2 【災害時の簡易トイレ】

 いざというとき行動できる気構えが一人の命を救います。今回、煙が充満した室内体験、及び、心臓を回復させるAEDの体験ができました。AEDは専門家に任せる気持ちを捨て、居合わせた人の誰もが実施できる必要があります。また、災害時に不足して困るのは飲料水、保存食、防寒用具、そして、トイレです。

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2015年7月20日 (月)

幕末の情緒を今に伝える倉賀野町の旧・大黒屋

P1060992 【現在、目にするのが難しくなった「なまこ壁」・・・大黒屋(だいこくや)の周囲に張り巡らされてる】

 江戸時代に日本橋から数えて12番目の宿場町として栄えた倉賀野町は、今でも往時を偲ばせる建物が散在してます。その典型的なものは、江戸道と日光道の追分として下町(しもちょう)に建つ閻魔堂です。

 閻魔堂は今春改築工事が終了し、その風貌は宿場町であった倉賀野の守護神として立派に再建されました。百万遍の大きな数珠など古き時代の伝統を完全に受け継ぎ、未来永劫、倉賀野町民へ伝えて行くことでしょう。

P1060641【改築なった閻魔堂】

 今回、その西へ400mほどの太鼓橋近くに現存する蔵造りの旧・大黒屋(旧・大山邸)は所有者で私のクラスメートであった大山さん姉妹がこの由緒ある建物を市に寄贈されました。そして、この度、改修工事が終わり、古い商家の建物や、江戸時代の風情が残る倉賀野町へと休日など内外からの街歩きを楽しむ人のために「倉賀野古商家おもてなし館」として生まれ変わりました。

P1060971【旧・大黒屋の全体像】・・・Enlarge please!

 実は私の生家は50年前まで仲町の原道屋として今のベイシアの北側にありました。この大黒屋と同じ蔵造りで、大きさも全く同じでした。今回、半世紀ぶりに旧・大黒屋を訪問し、生家に戻ったような懐かしさが蘇りました。屋根の勾配と、どっしりした厚い壁の佇まい、室内の落ち着いた雰囲気や太い木材による間取り、また、外壁に張り出すL字型をした金属片はおそらくロープを掛け、何か必要時によじ登ったり、物を掛けたりしたものと推測します。

P1060976 【このL字型した金具は母屋の東西と北側にある】

 今回の訪問で、心和んだのはボランティアーとして近所の女性たちが温かく応対してくださったことです。冷たい飲み物を戴きながら少々話ができましたが、この「おもてなし館」はこれから半永久に続くと想われ、ボランティアについてはどう続けていくかが今後の課題の一つであると思いました。

P1060973 【八畳二間続きの部屋と古風な佇まい・・・往時の賑やかな声が聞こえそう】

 私の生家も同様造りで表口から裏口まで、土間を通じて行き来でき「穀物商」として荷物の格納などに便利であったことが窺えます。この建物は明治6年に築造と伝えられ、世界文化遺産となった「富岡製糸場」の建設と同じ頃です。

P1060986_2 【大黒屋の大黒柱】

 関東大震災を経験しても、焼夷弾の投下など戦災を体験しても木造建築物は思いのほか長持ちするもので、建設当時の姿をそのまま142年間、維持してる優れた建築物です。

 しかしながら、長い年月には火災もあり、裏の建物が焼け落ち、その面影が今でも残ってます。それは屋敷周囲を取り巻く「なまこ壁」の裏側が消し炭状態で現存しています。

P1060980 【火災の跡・・・柱が燃えた形跡が今でも残る】・・・Enlarge please!

 今回の見学で私が最も関心を寄せたのは、時代劇映画でおなじみの一番上の写真にある「なまこ壁」はどのようにして造られたかでした。実は、崩れかけた部分からそれが理解できました。四角形の瓦の尖った部分を下にして敷き詰め、瓦と瓦の接着は漆喰で埋めて、特徴ある紋様にしたのです。これは勉強になりました。

P1060990【壊れかかった壁がなまこ壁の作り方を示している】

 この「なまこ壁」は他からの防火対策で造られた江戸時代の建築様式一つで、時代は異なっても変わらない建築の原点である「防火対策」と「芸術的な紋様」の二面性を持ち併せてます。

P1060974 【入口の頭上にある頑丈な木製の下ろし戸】

 江戸時代は盗賊も頻繁であったことが窺え、大黒屋が穀物商であったことは商品の保管が最重要であり、おそらく夜間はこの戸を上から引き下ろし、厳重に穀物を守ったと推測できます。かなりの重量があり、おそらく一人では上げ下げの作業ができなかったのではないでしょうか。

P1060979 【盗賊対策を施した明り取り】

 最後に、倉賀野町は昭和37年まで群馬郡倉賀野町として独立した町でした。その時の町長がこの大黒屋の主「大山七次郎氏」であり、倉賀野町の行政に尽力された先人であることを倉賀野町民として忘れることはできません。 

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2015年5月11日 (月)

基礎工事が完璧な閻魔堂・・・今後200年は持つ

P1060644【生まれ変わった閻魔堂の正面】

 2014年2月の大雪は70㎝も積り、現在の倉賀野町民にとっても生まれて初めての体験で、家から一歩出ることができませんでした。近隣でも雪の重みでカーポートは軒並み潰れ、1年半が経過した今でも、潰れたままのカーポートや農業用ビニールハウスが見受けられます。

Photo【旧・閻魔堂・・・日光方面と江戸方面の追分】

 前述の大雪で屋根瓦などがかなり損傷した旧閻魔堂は、篤志家の寄進によりこの度、再建され、立派なものに生まれ変わりました。

 私はここを通過するたびに建設の進捗状況を注視してきましたが、全体的に工事は緻密で、頗る丁寧さが感じられました。その第一は基礎工事にあります。P1060017 【分厚い鉄筋コンクリートの基礎・・・全面は石】

 コンクリートによる基礎の厚さは推定70~80㎝です。基礎は柱の部分のみでなく、建物全体を覆ってます。この工法であれば、今後200年間に遭遇するであろう大地震に見舞われても建物が軋むことなく、この基礎が閻魔堂の建物全体をすっぽり抱きかかえると考えられます。

P1060641【分厚い基礎の上に建つ新たな閻魔堂全景】Click please!

 入口がガラス戸であることから内部を拝見したところ、阿弥陀如来あるいは閻魔大王が格納される扉が見えました。従来は閻魔大王がガラス戸の近くに居座っていましたが、今後は奥の場所に据え付けられるのではないでしょうか。貴重な文化遺産であることから長い年月を保管するには格納庫が適切でしょう。

 元倉賀野小学校長・徳井敏治著「伝説の倉賀野」によれば、明治末ごろまではお作さんという尼さんが留守して居たらしい御堂も、現在は堂守さんはいません。

 現在の御堂は九品寺の所有であり、ご本尊は阿弥陀如来であることから昔は「阿弥陀堂」と言ったそうで、何時とはなしに人呼んで閻魔堂といわれるようになった由来を知る人はいないようです。写真下の中央には阿弥陀様が祀られるのではないでしょうか。

P1060651 【閻魔堂内部】

 ところで、内部はすべて木造であり、閻魔大王の居座る位置のみならず、升目の天井を初め、漆喰壁など現在の寺院建設の技術の粋を集めて出来てます。床も木造で従来より一回り広く、これならかなりの人数で、この界隈では大変に珍しい百万遍の数珠回しが可能になるでしょう。

Jyuzukuri1【Jyuzukuri 1より転記】

 前回も話題にしましたが、倉賀野町民でも体験したことのない方が多いと想われることから、今後は8月16日の御開帳日には「百万遍数珠回し」の体験コーナーを通して、この大きな数珠の存在を倉賀野町民に広く啓蒙し、江戸時代から伝わる由緒ある歴史的文化遺産を実際に手に取り、その価値を認識し、いつの時代にあっても、幸福を求め続けてきた庶民の心情を今の時代に味わいたいものです。

P1060647 【紋様の入った江戸瓦】

 屋根の頂には卍の印が四方に合計8個も浮き彫りにしてあり建物に一層の風格を表現してます。

Photo_2 【閻魔大王】

 あと3ヶ月後の御開帳には新装なった閻魔堂は今までとは変わり、大きな賑わいを見せるでしょう。そして、おそらく23世紀になっても今回、再建された閻魔堂は未来の倉賀野町民に「健康維持」と「心の平安」の大切さを説き続けることでしょう。

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2014年12月19日 (金)

倉賀野緑地で脈拍を上げるウォーキング

P1060018 【倉賀野緑地の高台にある休憩所】

 冬至前でも温かであった今日の午前中、家から往復1時間の倉賀野緑地までウォーキングしました。ここ数日は寒波の到来で厳寒でしたが、昔の人はよく言ったもので長い目で見れば三寒四温の繰り返しです。

 今の時季は日中の時間が短く、群馬県の今日【12/19】の日の出は6時50分、日の入りは16時31分なので昼間の時間は9時間41分です。因みに【夏至の昼間の時間は14時間39分】程で、その差は約5時間です。

P1060022 【ウォーキングに適してる倉賀野緑地・・・遠望は妙義山】

 ところで、私たちはややもすると勘違いしがちですが、統計的に、冬至直前の日の入り時刻は12月上旬よりすでに遅くなってます。つまり、夕方は日が伸びてます。冬至の日の日没が最も早くはありません。日没が最も早いのは11月29日~12月15日頃です。つまり、冬至の日没【16時33分】は12月5日の日没【16時28分】ころに比べるとすでに5分ほど伸びてます。一方、これからは日の出時刻が次第に遅くなります。

P1060024 【倉賀野緑地から見える活火山・浅間山2568m】

 ニュース映像で見る先般の御嶽山の噴火は凄まじかったですが、私が中学生の頃の浅間山の噴火は噴煙が上空5000メートルほど立ち上り、その噴煙が東に伸び、倉賀野一帯も降灰があり、音を立てて降りました。特にトタン屋根に降る灰はザーザーと強い音でした。

 現在は一見静まりかえってる浅間山ですが、天明の大噴火は麓の集落【鎌原村】を未だ埋没させたままであり、地球規模の間隔で考えると、未来は同等規模の大噴火が起こっても不思議ではありません。私の家の庭を掘ると現在でも浅間砂の層があります。おそらく230年前の天明の大噴火により、当時の農家の人たちが集めた灰塚と考えられます。

P1060030【倉賀野緑地から牛の背のように見える荒船山1423m】・Click please!

 今年、世界文化遺産になった富岡製糸場跡と絹産業遺産群の一つが「荒船風穴」です。すでに見学を済ませブログでも扱いましたが、「荒船風穴」は荒船山の近くにあります。現在でも風穴から冷たい風が出てます。この冷風で蚕の卵を保存し、年間を通じて蚕の生育を行い、絹の生産量は以前に比較し大幅に増大したと伝えられます。 

4183 【7年ほど前、荒船山の登山道で鳩を運ぶ小生】 

 荒船山は倉賀野からよく見え、私の家の窓からも見えます。実はこの山頂からレース鳩を倉賀野まで飛ばしました。しかし、こんなことをした人は日本人では一人かもしれません。鳩は無事に戻りました。

P1060025【倉賀野緑地より西群馬の霊峰・稲含山1370mを望む】

 富岡地区からは手に取るように聳える稲含山で一度友人夫妻と亡妻との四人で登頂しました。眺望は最高で関東平野がよく見えました。倉賀野緑地から見えるということは、稲含山頂から倉賀野が見えることになります。それには、望遠鏡が必要でしょう。

P1060031【倉賀野緑地のすぐ南を流れる烏川】

 今の季節、シベリアやカムチャッカと推測される地域から渡り鳥が烏川で羽を休めています。ここは江戸時代の河岸跡であることから今でも水の流れは緩く、渡り鳥にとってサンクチャリーです。今日は発見できませんでしたが、時折、コハクチョウが姿を見せます。

 ところで、ウォーキングは一見、足腰の鍛練のように思われがちですが、実を言うと、私が行うウォーキングの目的は【澱みない血流の速さ】であり、脈拍120前後を暫く続け、身体全体の細胞に刺激を与えることです。脈拍を上げる運動は、全身の血流をスムースにすることから健康維持にプラスになるでしょう。

 ウォーキングの原則・・・踵から着地です。そして寒い時間帯を避け、太陽が高く上がった温かい時間帯を選びましょう。血圧に考慮すべきだからです。

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2014年11月 3日 (月)

季節風と共にやって来たコハクチョウ・倉賀野新堤

P1050891【コハクチョウが舞う今日の新堤】

 台風19号が日本列島を縦断し、三陸沖に抜けると同時に気圧配置が変わり、群馬県も季節風が吹き始めました。北西よりの冷たい風に季節の移り変わり感じると、人間は何とはなしに寂しい気持ちになります。

 しかし、季節の受け止め方は動物、特に渡り鳥には好都合なのでしょう。4月に飛来し、日本で一生懸命に雛を育てた燕は、9月上旬、生まれた雛を連れて東南アジア方面へ向かい、いつの間にかいなくなりました。

 例えば、燕については数千キロという人間の想像を絶する飛翔距離、その飛翔エネルギー、そして方向判定能力に驚嘆せざるをえません。

 途中で、体力の尽きた雛は逃げ遅れて猛禽の餌食になったり、台風に遭遇した場合、体力の限界で海に落ちてしまうものもいるでしょう。しかし、これこそ渡り鳥が何万年も生き伸び、結果的に強靭な体力を持ったもの、方向判定能力の優秀なものだけが子孫を残せる掟が続いてきたと考えられます。

 私たちが日常、見る渡り鳥は、この自然淘汰を太古の昔から幾度となく繰り返した結果、生き残ってる強い遺伝子を持った鳥ということになります。

P1050886 【新堤のカモ類】

 南へ渡った燕とは逆に、今度は晩秋から初冬にかけ、シベリアやカムチャッカからと推測されるカモや、コハクチョウが日本で冬を過ごし、なぜか、日本では子育てしないことも人間には分からないことです。しかし、燕も含め、緯度の高い地域で子育てをすることは夏鳥も、冬鳥も共通です。

 これは北半球のことですが、南半球でも同様に緯度の高い地域【南極に近い方】で子育てするのか、友人のニュージーランド人Mr. Barry Spenceに訊いてみます。彼は我が家にホームステイしたことがあり、現在でも、フェイスブックで日々、連絡が取れる環境にあります。

P1050881 【水面の高さを一定にしてる水門】

 ところで、近年、倉賀野町近辺でコハクチョウの群れが見られます。それは烏川の水の流れが緩いところ、この新堤、また、近隣の山名町の鏑川でも目撃できます。一般の水鳥より一回り大きく、もちろん白いので目立ちます。また、集団で行動するのは猛禽対策による渡り鳥の習性と考えらます。

 渡りの途中は、海上であることから餌の確保が難しく、あるいは皆無でしょう。今までに蓄積した筋肉をエネルギー源として飛翔すると考えられます。

 レース鳩を飼育してる私としては、短距離~中距離鳩は別として、稚内から関東まで飛翔する1000K鳩は渡り鳥に共通するのではないかと考えてます。1000Kを飛翔するために必要な膨大なエネルギーは自身の肉を食べて(消費して)飛んでくると考えられることから、舎外や訓練、及び、それに適した餌で事前にエネルギー源を筋肉に蓄えさせてやることが長距離飛翔の基本と考えます。

 同様に、砂漠を横断するラクダは背中のコブ内に蓄積した栄養がエネルギー源であると言われます。昔、内モンゴルの大平原でラクダに乗りました。揺れて落ちそうになるので思わずコブに摑まりましたが、コブは頼りにならないほど柔らかかったです。コブの中味は骨でなくエネルギー源の油だったからでしょう。 

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